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[1965] 棘鯛の系譜3>ミナミクロダイ 
2002/8/24 (土) 06:17:15 小西英人
 棘鯛の系譜の3を転載します。ミナミクロダイです。1オキナワキチヌと2クロダイは、過去ログに潜りこんでしまいました。URLを書いておくね。

■棘鯛の系譜@>オキナワキチヌ
http://fishing-forum.org/cgi-bin/zk_bbs/zcyclame.cgi?ol=200207&tree=c1659
■棘鯛の系譜A>クロダイ
http://fishing-forum.org/cgi-bin/zk_bbs/zcyclame.cgi?ol=200207&tree=c1600

 また、ミナミクロダイとオキナワキチヌ(オーストラリアキチヌ)をめぐる動きが、ぼくの書いた2000年から変わっています。オキナワキチヌで注記を入れたけど、それと同じものを転載しておきます。

■注記転載
============================================================
 ぼく、『釣魚図鑑』の色校正をかかえて、2000年の魚類学会に行くと、そこで琉球大学の粂さんに声をかけられたのです。彼らは、オーストラリアキチヌの研究をしていたのです。

 もう、その最新情報を入れて書き直せなかったので、その情報は、先に『快投乱麻』から抜いておきます。

■快投乱麻
http://www.nifty.ne.jp/forum/ffish/hideto/ranma/37/37.htm

■この「棘鯛の系譜」でオーストラリアに棲むオーストラリアキチヌと、沖縄に棲むオーストラリアキチヌ、そしてミナミクロダイの関係は「いまのところ研究者でさえ、しっかりしたことは、なにもいえないという困りもの…」だと書いた。琉球大学理学部海洋自然科学科大学院生の粂正幸さん、吉野哲夫助教授、東京大学海洋研究所の西田睦教授によってオーストラリア産と沖縄産のオーストラリアキチヌとミナミクロダイとナンヨウチヌの遺伝子分析がされ、すべて同じ程度の遺伝的分化が確認された。つまりオーストラリアのオーストラリアキチヌと沖縄のオーストラリアキチヌはやはり別種であり、ミナミクロダイとも別種であると遺伝子からも確認された。(2000年度日本魚類学会年会講演要旨)

■この日本魚類学会年会は神奈川県立生命の星・地球博物館で十月六日〜九日まで行われた。そのポスターセッションという展示発表会場を歩いていたら声をかけられた。クロダイ属の話をするときに、眼を輝かせ、くりくりくりくり動かす好青年、琉球大学の粂さんだった。彼からオーストラリアキチヌとミナミクロダイの識別点をご教示いただいた。ただし、彼の研究は発表されていないので、まだ書けない。とにかく『釣魚図鑑』に書いたことは古くなりそうなのだ。また一九九七年に赤崎正人博士はオーストラリアキチヌを「おきなわきちぬ」という和名に変えようと提唱されたけどその提唱の方法が乱暴だから、しばらく使わないと書いた。しかし十二月二十日に出版されるであろう『日本産魚類検索・第二版』では、この赤崎博士の提唱を受けオキナワキチヌを採用したようだ。世紀末になってクロダイ属研究が動き始めた。
       ■
■今世紀は地球破壊の世紀になってしまった。新世紀は地球との共存の世紀にしなければ。生物としてのヒトを見直さなければならない。『釣魚図鑑』は、はや古くなりそうだけど世紀末に元気な分類学はうれしい。
================================================================

 また本文中で、鹿児島県種子島のクロダイを「オキナワキチヌ」ではないかと書いたが、これは、そのときの気の迷い、クロダイと、そしてたぶんミナミクロダイだと思われる。この文章を書いてからのちに、種子島で写したクロダイ類の写真を琉球大学の吉野哲夫助教授に見ていただいて、いろいろご教示いただいたが、オキナワキチヌではなかった。ミナミクロダイに見えるものもいた。しかし、クロダイとミナミクロダイは、非常に近縁で、分けることに意味がないかもしれないらしい…という面白いことを教えていただいた。

 それでは、前置きが長くなったね。始めます。

                             英人


■『釣魚図鑑』(小西英人・2000年)より転載
==============================================
魚あれこれ■棘鯛の系譜3

琉球列島を根城に頑張るぞ。謎の鱗4.5枚軍団
ミナミクロダイ■


■琉球にしかいない黒鯛


==============================================

■ミナミクロダイ、これは世界のクロダイ属の中でも、いちばんの新参者である。そして「琉球列島」に行くとごくふつうに見られる「くろだい」の仲間なのだが、謎も多く、いまのところ研究者でさえ、しっかりしたことは、なにもいえないという困りものでもあるのだ。
            ■
■1962年、ケネディ大統領がキューバ海上封鎖を声明、フルシチョフ書記長とつっぱりあって核戦争の恐怖に巻き込んだ「キューバ危機」に、世界が固唾をのんだ年、極東の片隅で、京都大学みさき臨海実験所の特別報告書が出版された。『タイ型魚類の研究−形態・系統・分類および生態』という題名で、著者は当時京都大学農学部水産学教室にいた赤崎正人博士である。この特別報告書ではじめて記載されたのがミナミクロダイで、このように新しい学名をつけられたものを「新種」という。ミナミクロダイは、1962年に新種として記載されたのだ。
            ■
■琉球列島から台湾、中国にかけて、背鰭棘条部中央下側線上方横列鱗数が4.5枚のクロダイ属がいる。背鰭棘条部中央下側線上方横列鱗数(TRac)というとややこしいが、背鰭の棘の真ん中まで、小さな鱗をふくめて側線の上にある鱗を数えるとよい。クロダイ属の背鰭棘は11〜12本あるので、前から6本目あたりの棘の下の鱗を数えるとよい。背鰭のすぐ下の小さな鱗は0.5枚と数える。この鱗数が5.5枚以上ならクロダイ、3.5枚ならキチヌかナンヨウチヌだ。何の問題もない。これが4.5枚の「くろだい」になると、俄然、話はややこしくなる。
■琉球列島には、クロダイとキチヌはいなくて、鱗数が4.5枚の「くろだい」しかいなかった。それを赤崎博士が新種として1962年に発表して、まあ、めでたしめでたしだった。ところが、ミナミクロダイに似ているのだが形態的に分離できる「くろだい」もいて、それを赤崎博士はオーストラリアの Acanthopagrus australisと同種だとし、オーストラリアキチヌという和名を『日本産魚類大図鑑』(益田一・ほか編、1984)で提唱した。
■「ミナミクロダイ」とそれから分離できる「極東のオーストラリアキチヌ」と「オーストラリアのオーストラリアキチヌ」の3種は、それからややこしくなった。
            ■
■赤崎博士が、いちばん最近に書いた図鑑の記載を見てみる。『日本の海水魚』(岡村収・尼岡邦夫編、1997)でミナミクロダイは「奄美・琉球列島の固有種」と書いている。「オーストラリアキチヌ」を赤崎博士は、この図鑑から消した。オーストラリアのオーストラリアキチヌと極めて類似しているが「若干の差異につき現在検討中である」とし、「おきなわきちぬ」という新称を提唱してしまったのだ。ちょっと提唱の仕方が乱暴なので、よけい混乱を招いてもいけないから、しばらく1984年に提唱され定着している「オーストラリアキチヌ」という和名を使う。赤崎博士は分布は琉球列島としている。
■「琉球列島」という用語は魚類学ではよく使われる。ただし、きちんと定義された言葉ではなく定義らしいものといえば『魚類図鑑・南日本の沿岸魚』(益田一・ほか著、1975)の解説に−−従来慣用されていた「南西諸島」の代りに、「琉球列島」を用い、これにはトカラ列島から八重山諸島南端までが含まれる−−と書かれているくらいのものだろうか。とにかく屋久島、種子島までは日本の魚類相の本土圏内であって、トカラ列島より先が違うという「常識」のようなものはある。簡単にいうと琉球列島の海中は「熱帯」であり、屋久島・種子島以北の海中は「温帯」なのだ。ただし、ご存じのように、この海域は黒潮がまともに流れるところであり、単純な線引きはできない。季節により「亜熱帯」ラインはふらふら移動し、大きく、北上したり南下したりする。
            ■
■ミナミクロダイとオーストラリアキチヌの違いを、おさらいしておこう。はじめがミナミクロダイの特徴、そして()の中にオーストラリアキチヌの特徴を書く。
■体色は黒っぽい(体色は白っぽい)
■腹鰭と臀鰭は暗灰色(腹鰭と臀鰭は淡色)
■臀鰭中央は暗色(臀鰭中央が黄色いのもいる)
■尾鰭は全体に黒っぽい(尾鰭後縁が黒いのもいる)
■背鰭は全体に黒っぽい(背鰭縁辺が黒いのもいる)
■ということだが、なんともいえないものも多い。またいまのところ別種に間違いないともいえない。同種内の型、もしくは老成魚の形質と考えられないこともない。この2種はいろいろな特徴を複合的に組み合わせ、やっと分離できる。それでも沖縄の釣り人が「ちん」と「ちんしらー」と分けているので別種だろうと思う。よく魚を見ている釣り人の眼は漁師や研究者と同じく鋭い。
            ■
■外国では、この2種をどう扱っているのだろうか。
■琉球列島から連なる台湾の魚類図鑑を見よう。『臺灣魚類檢索』(沈世傑編、1984)は、クロダイ、キチヌ、ナンヨウチヌ、ミナミクロダイの4種を収録、クロダイは「ごく普通」に見られ、それ以外は「やや珍しい」となっている。ミナミクロダイの産地は台湾の東北部と蘭嶼海域。それが同じ編者の『臺灣魚類誌』(沈世傑編、1993)になるとミナミクロダイは消され、かわりにオーストラリアキチヌがはいり、ミナミクロダイに似ていると注記され、台湾南部で発見が予想されるがまだ見つかっていないとなっている。写真にはオーストラリア産のオーストラリアキチヌが掲げられている。中華人民共和国の『福建魚類誌・下巻』(1985)を見るとクロダイとナンヨウチヌとキチヌの3種のみが収録されている。
            ■
■ふう。ややこしいね。しかし台湾の魚類図鑑の扱いから見て現在のところミナミクロダイは琉球列島の固有種としていいのかもしれない。いや、そうしかできないだろう。オーストラリアキチヌは東アジアから琉球列島まで広く分布する可能性がある。香港で釣りあげ標本にした「くろだい」もオーストラリアキチヌだと思われる。そして、このオーストラリアキチヌは、オーストラリアのオーストラリアキチヌとは別種だと思われるのだ。
            ■
■東アジアにもう1種、鱗数4.5枚の「くろだい」がいるとされる。1962年の赤崎博士のミナミクロダイの原記載の前のページに「からちぬ」という新称が提唱されている。中国の北部と中部沿岸に生息するとし、その形態記載は香港の「オーストラリアキチヌ」とよくあう。またミナミクロダイの原記載には、ミナミクロダイは多くの点で「からちぬ」に最も近縁であると書いている。
■ああ赤崎大先生、ミナミクロダイは、いったい、どう考えたらいいのでしょうか?
■赤崎正人元宮崎大学教授、「タイ科の赤崎」は1999年5月12日、73歳で永眠された。ご冥福をお祈りいたします。いちど長崎で夜をご一緒した。ぼくのようなアマチュアには親切で、好々爺であったが、厳しい先生であったと聞く。日本人にとって海外など「夢のまた夢」だった時代、世界中からタイ科の標本を集め、広い視野で研究し、記載された。標本に欲しい魚が水族館で泳いでいると毎日通って睨み、ついに手に入れた「赤崎の睨み殺し」という「伝説」まである。クロダイ属のお話を伺いに行こうと思っていたのに聞けなくなってしまった。
■赤崎博士以後、クロダイ属は総合的には研究されていない。「何ともいえない」状況はしばらく続くだろう。
            ■
■1999年9月20日、鹿児島県種子島に行った。地元の釣り人たちは異口同音に、クロダイはいる。本土とまったく同じだよ。それとキチヌもいるということだった。
■釣りあげた「くろだい」の幼魚はミナミクロダイだった。いや、鱗数4.5枚の「くろだい」だった。やはりクロダイより白っぽく、一目で違うとは思うけれど慣れないと見分けがつかないかもしれない。ぼくは幼魚を見分けたことがなく何ともいえないのだが、どちらかといえば「オーストラリアキチヌ」ではないかと思った。
■1999年7月19日、沖縄の屋我地で釣れた「幼魚」と、それはそっくりである。これはミナミクロダイなのか、オーストラリアキチヌなのか。わからない。
■まあ「謎」は「謎」だからこそ、おもしろいのだが。

初出●『ちぬ倶楽部』1999年12月号

[1970] 図鑑>オキナワキチヌ>登録しました 
2002/8/24 (土) 13:07:13 小西英人
 オキナワキチヌを図鑑に登録しておきました。

■オキナワキチヌ
http://fishing-forum.org/cgi-bin/zukan/zkanmei.cgi?seq=000451

 よろしく。                 英人

[1979] Re:図鑑>オキナワキチヌ>登録しました 
2002/8/25 (日) 02:58:30 KOUJI
▼ 小西英人さん

 47cmと言えば大きい方だと思うのですが、体型も格好良いし、鰭も鱗もシャンとしていて若く見えますね。
 南方系のチヌってかなり大きくなるんですか?

[1980] Re2:図鑑>オキナワキチヌ>登録しました 
2002/8/25 (日) 06:59:09 小西英人
▼ KOUJIさん

 オキナワキチヌは、かなり大きくなると、釣り師の勘で思います。ほとんど知られていないクロダイ属ですし、香港にいるというのも、釣って、おかしいと思って京大に送って確認したからいえるのであって、向こうの釣り師もむちゃくちゃいいますし、香港大学から出た魚類図鑑にも載っていません。香港の研究者も知らないでしょう。ほとんどデータがないのです。

 香港では、オキナワキチヌ以外は釣れませんでしたが、ぼくの確認したクロダイ属は、クロダイ、キチヌ、ナンヨウチヌ、オキナワキチヌの4種です。あんな小さいところに、4種います。香港というと、半島の先の島というイメージがあるでしょうが、大きな珠江という河の河口になります。ここから淡水が大量に押しだして、香港沖合の島々も、水が甘く、クロダイ属に適しているようです。ちょっと島の名前を忘れているのですが、香港の沖合に小さな島は多いのです。『燃えよドラゴン』でも『プロジェクトX』でもでてきていたでしょう。香港から高速艇で磯渡りできます。亜熱帯系の磯を想像したのですが、その珠江の水の関係か、日本海のようなおとなしい雰囲気でした。

 オキナワキチヌは、香港の「磯名人」にいわせると、80cmを超えると言います。しかし、信用はできないですね。なにせ、香港に着いたら、香港には日本とまったく同じ魚がいるから面白いと力説します。ほら、と、見せられた香港の雑誌に載ったクロダイやら、なんやらの図鑑説明的な魚の写真は、すべて、『新さかな大図鑑』と『釣魚検索』から、見事にコピーした物でした。

 魚のことを、あまり知らないようです。

 しかし、日本の磯の名人たちも、大挙していっているようですが、魚のことを知らなくて、まったく情報にもなんにもなっておらず、磯のサンドイッチマンたちは売名と釣り具の宣伝で忙しいようです。たくさん釣るためのプロなんだから、魚のことに興味はないのでしょう。香港の人のこと、えらそうにはいえません。

 とにかく、オキナワキチヌは大きくなると思われます。

                           英人

[1991] Re3:図鑑>オキナワキチヌ>登録しました 
2002/8/25 (日) 14:18:07 KOUJI
▼ 小西英人さん

 やはり大きくなりそうですか。
 クロダイって大きさと共に見た目に味が出て来るけど、この魚からはそれが感じられませんものね。

 香港だけで4種と言うのは凄いですね。
 生態学的な事は全く判らないのですが、狭い範囲に近似種が居ると、交雑と言うような事は無いのでしょうか?

 しかし雑誌の写真にさかな大図鑑とかのモノをパクってるってのは笑えると言うか、妙に納得と言うか。(^^;)
 もしかしたらバッタもんのさかな大図鑑とか売ってたりして。

[1993] Re4:図鑑>オキナワキチヌ>登録しました 
2002/8/25 (日) 14:34:01 小西英人
▼ KOUJIさん

 香港で中国版『新さかな大図鑑』を売っていても驚きませんが、見たことはないです。

 前の『さかな大図鑑』は、台湾で5分冊にして、豪華ケースに収めた、立派な台湾中国版があって驚きました。

 まったくのコピーですが、序に、いろいろ偉そうなことを書いているふし(中国語だから正確にはわからないけど…)があって笑っちゃった。

 ベルヌ条約に、はいっていないから、手の打ちようがなかったです。

                           英人

[2002] Re5:図鑑>オキナワキチヌ>登録しました 
2002/8/25 (日) 16:25:27 KOUJI
▼ 小西英人さん

 うは〜、やっぱり有ったんですか。<バッタもん
 流石と言うか、何と言うか。(^^;)

[2019] ミナミクロダイ>画像をアップしておきます 
2002/8/26 (月) 11:21:10 小西英人
◆画像拡大
 ミナミクロダイ 45cm
 1998年12月7日 奄美大島古仁屋。

[2021] 図鑑>ミナミクロダイ>登録しました 
2002/8/26 (月) 14:36:53 小西英人
 ミナミクロダイを図鑑に登録しておきました。

 オキナワキチヌと見比べてください。       英人

[2162] 棘鯛の系譜4>キチヌ 
2002/9/5 (木) 12:10:08 小西英人
◆画像拡大
キチヌ■2000年5月22日 鹿児島県小湊


 棘鯛の系譜の4、キチヌを転載しますね。

                           英人
■『釣魚図鑑』(小西英人・2000年)より転載
==============================================
魚あれこれ■棘鯛の系譜4


西太平洋とインド洋に広がる。熱帯の魚だという
キチヌ■


■謎が謎呼ぶ汽水の黒鯛


==============================================
■海水魚は、あの塩辛い水を、がぶがぶがぶがぶ、がんばって飲んではるって知ってただろうか?
■淡水魚は、食道の括約筋をぐっとしめ、がんばって水を飲まないようにしてはるって、知ってただろうか?
            ■
■ふつう、海水魚を淡水に放りこむと死んでしまう。反対に淡水魚を海水に放りこんでも死んでしまう。これは体内の「浸透圧」の調整ができないからだ。
■あらゆる動物は「体液」で満たされているが、この体液の浸透圧と電解質組成を一定に保たなければ生きていけない。水中にすむ生物は周囲の浸透圧を直接体表で受けてしまう。魚類の体表面の大半は鰓がしめ、その鰓はその呼吸のために、透過性の高い一層の扁平上皮からできているので、水分や塩分は勝手に通ってしまう。
■簡単にいおう。
■海水魚は周囲の浸透圧の方が高く、体内の水が鰓からどんどん逃げだして「しぼんで」しまう。だから、どんどん水を飲んで、しぼんでしまわないようにしている。そして摂りすぎた「塩分」は、鰓に特に発達している塩類細胞から排出する。尿は少ししか出さない。
■淡水魚は周囲の浸透圧の方が低く、まわりから水がどんどん入ってきて「水ぶくれ」になってしまう。ほとんど飲まないようにして、水ぶくれにならないようにしている。そして「塩分」は鰓から取り込む。鰓から体内に入った水分は尿として多量に出してしまう。
            ■
■水中の生物は、海水と淡水でこのように劇的に状況が変わってしまう。入れ替えると「ふつう」は死んでしまう。このように、死んでしまう魚を「狭塩性」の魚という。しかし平気な魚もいる。海水と淡水を行ったり来たりする魚たちだ。浸透圧の調節器官の機能をうまく切り替えることができる魚たちを「広塩性」の魚という。
■黒鯛たちは「広塩性」だ。
■海水と淡水を行ったり来たりするとは一種の回遊である。マグロのような「海洋回遊」と区別し、この回遊は「通し回遊」と呼ぶ。通し回遊を細分しよう。
■遡河回遊=サケ科の魚など=河川で孵化し海で成長して河川に産卵にもどる。
■降河回遊=ウナギなど=海で孵化し河川で成長して海に産卵にもどる。
■淡水性両側回遊=アユなど=河川で孵化し海で成長し河川でも成長して産卵する。
■海水性両側回遊=ボラ、スズキ、キチヌ、クロダイなど=海で孵化し河川で成長し海でも成長して産卵する。
■この海水性両側回遊魚というのは、日本には少ないのだが、稚魚期に河川に入って成長するボラ、スズキ、キチヌ、クロダイなどは、この仲間にいれてもいいくらいの生活史を持っている。
■それでは、なぜ、塩辛い水をがぶ飲みしたり、水を飲まないようにがんばったり、そんな「ややこしい領域」に魚は、わざわざ踏み込んでいくのだろうか?
            ■
■世の中に賢い人はいるもので1987年に出されたグロスの回遊進化仮説がおもしろい。
■熱帯域では海より河の方が生産性が高いので海水魚から淡水魚へ移行する方に、温帯域では反対に海の方が生産性が高いために淡水魚から海水魚へ移行する方に「通し回遊」は進化するというのである。
■熱帯では、海水魚→広塩性回遊魚→海水性両側回遊魚→降河回遊魚→淡水魚に。
■温帯では、淡水魚→広塩性回遊魚→淡水性両側回遊魚→遡河回遊魚→海水魚に。
■それぞれ進化が進みやすいというわけだ。降河回遊の代表であるウナギはたしかに熱帯性であり、日本に海水性両側回遊魚が少ないのもうなずける。ボラや黒鯛類は熱帯に行くほど川の中で生活していることが多い。遡河回遊の代表であるサケ科魚類はたしかに冷水性であり、淡水性両側回遊魚のアユは日本でふつうに見られる。
            ■
■これらのことから、黒鯛の仲間は熱帯起源であり、そのため淡水にはいる傾向を持っているのだろうか。キチヌが熱帯地方を中心に広い分布を持ち、いちばん北に勢力をのばしたクロダイよりも淡水を好むのは、こういうダイナミックな「進化」を物語っているのだろうか。
            ■
■クロダイも謎の多い魚だが、キチヌは、もっと謎が多い。生活史や生態など、ほとんど知られてはいない。
■産卵場所や産卵生態はわかっていない。さまざまな情報を総合すると、南日本での産卵期は9〜11月であり、盛期は10月だと思われる。クロダイが春に産卵する黒鯛だとしたらキチヌは秋に産卵する黒鯛なのだ。そしてクロダイと同じように「性の分化」が見られる。
■クロダイ属の見分けで、よくいわれる背鰭棘条部中央下側線上方横列鱗は3.5枚であり、クロダイは5.5枚以上なので間違うことはない。ぱっと見た目に、かなり鱗のあらいと感じる黒鯛が、キチヌなのだ。
■尾鰭の下葉と臀鰭の真ん中が黄色く、若い間は腹鰭も黄色くて、一目でキチヌと分かるのだが、ここが黄色というより淡色であったり、なんともいえない黒鯛も混じってしまう。3.5枚を覚えておくと間違いない。
            ■
■分布は琉球列島をのぞく本州中部以南で、中国沿岸から西部太平洋、インド洋、紅海、アフリカ東岸と、かなり広いとされているのだが、世界中の魚類図鑑をひっくり返し見比べていると、いろいろ疑問がわいてくる。
            ■
■東南アジア、オーストラリアにいるとされているが、オーストラリアや東南アジアの、ほとんどの魚類図鑑にキチヌの記載はない。やっと見つけたのは西オーストラリア博物館の『マリン・フィッシーズ』のアレン博士の記載。英名はウェスタン・イエローフィン・ブリームとなって、北西オーストラリアと南東アジア、北インド洋と西太平洋にいるとなっている。写真はなく簡単な図で腹鰭と臀鰭と尾鰭がすべて黄色く描かれており、とても違和感があるけれども、図だからなんともいえない。
■もうひとつ見つけたのはアラビア半島のオマーンの魚類図鑑『コースタル・フィッシーズ・オブ・オマーン』でハワイ、ビショップ博物館のランドール博士が書いている。41pの親と、17pの幼魚のランドール博士の写真が載せられているが、親は、ぼくはキチヌに見えない。どちらかといえばオーストラリアキチヌに見えるが、ほんとうに何ともいえない。幼魚もキチヌに見えないこともないがオーストラリアキチヌのようにも思える。どちらも写真が小さいので背鰭棘条部中央下側線上方横列鱗数は数えられない。記載によると、第4棘条部下側線上方横列鱗は4.5枚。日本での数え方は中央下なので第6棘条部下であり、3.5枚になる。数える場所が違うのでなんともいえない。英名はイエローフィン・シーブリームで、アラビア湾から南アジア、西太平洋、そしてオーストラリアから南日本に分布しているとなっている。
            ■
■インド・太平洋域の熱帯と亜熱帯地域に、広く分布するとされているキチヌだが、なにか混乱があるようだ。特にオーストラリアキチヌとの関係は、もういちど、きちんと見直さなければいけないのだろう。
■南日本のキチヌは見間違えない。韓国のキチヌも、中国のキチヌも見たけれどキチヌであった。東南アジアからオーストラリア、そしてインド洋、アフリカにかけてのキチヌは、少し形態が違うのだろうか、オーストラリアキチヌと、かなり似ている部分もあるのだろうか、謎は深まるばかりである。キチヌをキチヌであると証明するのは学名の基準となったタイプと呼ばれる標本と見比べなければならない。キチヌの学名は1782年にホウトタインがつけており模式産地は日本、しかしタイプは知られていない。どこにあるのか分からないのだ。この場合キチヌの国際的な「基準」はないということになる。
            ■
■ああキチヌよ、おまえもか。
■謎は謎を呼ぶばかり。まあいい。世界中のキチヌを、こつこつと釣って見て歩いてやるさ。そのうちにね。


初出●『ちぬ倶楽部』2000年2月号

[2303] 棘鯛の系譜5>ナンヨウチヌ 
2002/9/15 (日) 09:16:36 小西英人
 棘鯛の系譜の最終回、その5を転載します。ナンヨウチヌです。

 いま、家にいるので、ナンヨウチヌの画像は送れませんが、画像はまた、後でいれることにしましょう。ちょっと変わったチヌですよ。お楽しみにね。

 そうそう、これを書いたとき、フォシュスコールのことを知りませんでした。あれから西村三郎の『リンネとその使徒たち』を読んだりして、フォシュスコールの dry skin という標本が、どんなものか、ちょっとだけ知りました。そのことをここ【さかなBBS】でちらっと書いたことがありますので、その部分だけ引用しましょう。

===============================================================

 (前略)
 そうそう。いちおう液侵標本としましたが、学名を決める『国際動物命名規約』に標本の種類は規定されていません。わかれば何でもいいのです。たとえば1775年に出版されたフォッシュスコールの標本類は、コペンハーゲン大学動物学博物館にあって「フォッシュスコールの、せき葉標本」とあだ名されています。魚類の「押し葉標本」ですね。魚の皮をはいで紙に挟んで乾燥させた物です。

 スウェーデン人のフォッシュスコールは、あの分類学の創始者、リンネの弟子の一人で、デンマーク王室が派遣した、世界で初めてのアラビア学術探検隊に参加して、紅海を調査し、31歳でマラリアにかかって客死したのです。彼の標本類は死後に整理され、出版されたのですが、アルコールに漬けた液侵標本類は、管理ができず腐敗したりして遺棄されてしまい、皮だけが残ったのです。

 江戸時代の、そんな若造の博物学者がどないしてんといわれそうですが、彼の死後出版された『諸動物の記載』(1775年)で初記載され、日本産魚で、いまだに有効な学名だけで61種もあります。彼の業績をたたえて、その日本産魚のリストを掲げておきます。これらの魚の完模式標本(世界でただ一つの、学名を担える標本の意味です)は「押し葉」なのです。

トンガリサカタザメ
ツカエイ
ヒョウモンオトメエイ
ハモ
オオイワシ
オキイワシ
サバヒー
ホシザヨリ
ウケグチイットウダイ
ヨゴレマツカサ
アヤメエビス
トガリエビス
クロハタ
ユカタハタ
オオモンハタ
アカハタ
アカマダラハタ
ヒトミハタ
バラハタ
コトヒキ
ホウセキキントキ
モトギス
クロボシヒラアジ
コガネアジ
クロヒラアジ
ホシカイワリ
ロウニンアジ
コガネシマアジ
イケカツオ
セイタカヒイラギ
ゴマフエダイ
バラフエダイ
ニセクロホシフエダイ
ヒメフエダイ
ヨスジフエダイ
マダラタルミ
ミナミクロサギ
エリアカコショウダイ
ホシミゾイサキ
マトフエフキ
ハマフエフキ
タテシマフエフキ
ヨコシマクロダイ
ナンヨウチヌ
ヘダイ
ミナミヒメジ
テンジクイサキ
ナンヨウツバメウオ
ツバメウオ
トゲチョウチョウウオ
シマスズメダイ
フウライボラ
タイワンメナダ
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ブチブダイ
オウムブダイ
ハゲブダイ
ナガニザ
テングハギ
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                           英人


■『釣魚図鑑』(小西英人・2000年)より転載
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魚あれこれ■棘鯛の系譜5

紅海でマラリアに倒れる。悲運の博物学者を想う
ナンヨウチヌ■


■インド洋太平洋の覇者


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■思わぬところで思わぬ人に出逢うことがある。思わず心ときめいたりしてね。
■釣り人の場合、それが、いい女ではなくて、いい魚だったりする。それで、心ときめきまくったりするんだから、ほんとツリビトって変な人種だなあと思う。まさしくそれだった。ぼくとナンヨウチヌとの出逢いは。
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■Field Guide to the Freshwater Fishes of Tanzania.
■そんな図鑑を眺めていた。英語って長ったらしくて厭だ。長くなけりゃ読んでやってもいいのだけど。『タンザニア淡水魚の野外案内』と日本語なら簡単なのに。とにかく、そういう図鑑をぱらぱらとくって眺めているとタイ科 Sparidae という言葉が眼に飛びこんできた。
■クロダイ属 Acanthopagrus この連載タイトルにもしている「棘鯛」という言葉まで眼に飛びこんでくる。
■ええっ!
■淡水魚の図鑑とちゃうのん。アフリカのタンザニアの図鑑とちゃうのん。なんでやのん。
■Acanthopagrus berda (Forsskal,1775)
■学名はこう書かれていて、国連食糧農業機関名はピクニック・シー・ブリーム。地方名はクング。国連食糧農業機関名というと、たいそうだが FAO Namesといって、FAOが英語、フランス語、スペイン語で決めている名前のことだ。FAOはいま世界中の魚のカタログを世界中の研究者に委託しまとめつつある。日本は標準和名という「考え方」があるが、外国ではあまりなく魚名は混乱している。「標準世界名」のようなものが国連食糧農業機関名になるだろう。この図鑑もFAOがだしている。
■そんなことはどうでもいい。眼が釘付けになってしまったのは、最大寸法だ。75pとある。
■淡水に75pもあるクロダイ属がいるのか?
■しかし、そのあとには…普通30pとも書いている。汚いぞ。その手は桑名の焼き蛤だい。
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■日本の図鑑で調べてみて、またまたまたまた大びっくり。それはナンヨウチヌだったのだ。
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■日本では西表島以南にしかすまないクロダイ属で、鱗が大きく、体高が高く、ぬめっとし、尾鰭の後縁はハート形のように切れ込み、なんというか、日本産のクロダイ属の中では、いちばん「変」な黒鯛である。
■クロダイ属で、よく問題になる背鰭棘条部中央下側線上方横列鱗数は3.5枚、それで鱗が大きく見える。キチヌと同じだが、キチヌは琉球列島にはいないので間違えない。また、キチヌの臀鰭は、中央が黄色か淡色だが、ナンヨウチヌは暗色になっている。淡水性が強く、西表島でも、マングローブ林から河の中に多いようだ。日本では、ほとんど知られていない変な黒鯛なのだが、世界で見るといちばん広く分布し、いちばん古くから報告され、いちばんよく知られていた黒鯛なのだ。台湾、香港から東南アジア、オーストラリアの東岸、北岸、西岸、インド洋、紅海、アフリカ東岸まで、インド洋と西太平洋のほとんどを制覇したのがナンヨウチヌなのだ。
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■2000年1月1日から、かちっと音をたてて動きだしたものって知っているだろうか? 2000年問題ではない。
■ICZN,1999 だ。国際動物命名規約の第4版が1999年に出版され、2000年1月1日から「かちっ」と発効した。
■国際動物命名規約・第4版。International Code of Zoological Nomenclature,Fourth Edition.略称が ICZN,1999 英語とフランス語で書かれた、この書物こそが、すべての動物学名を決める「法律」なのだ。
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■学名って、なんだろう?
■学名、二名法というのは、スウェーデンの大植物学者(医学者・分類学者)カール・フォン・リンネ(1707〜1778)をもって嚆矢とする。すべての動物学名は、このリンネの『自然の体系・第10版』 (Systema Nature,10th Edition,1758)から出発するのだ。
■リンネの時代は大博物学時代といってもいい時代だった。世界中が探検され、ヨーロッパにさまざまな動植物が持ち込まれ博物学者たちはどんどん記載していった。すべて新種だった。地球は「発見」に満ちていた。そして、てんでに名前をつけ発表し、混乱もすごかった。
■リンネも先の『自然の体系』で、ライオンを Felis cauda elongata,corpore helvolo とした。訳すと尾の長い体が淡黄色の猫となるらしい。ほかにも「ふさふさした長い尾を持ち上半身にたてがみのある猫」なんて名前も書いた。そして本の欄外にLeo という略号を振る。この『自然の体系』の欄外の略号が学名のはじまり。
■もちろん、このままはじめたものではなく制度化されたのはずっとずっと遅れた。1889年のパリの第1回国際動物学会議で草案が提出され、1900年の第5回ベルリン大会で採択された。そして1961年にいまの命名規約のもとになった「新規約」の第1版が出版されている。
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■ライオンの学名を書く。
■Felis leo Linnaeus,1758
■フェリスが属名、レオが種小名、ふたつあわせて種の学名である。これがリンネの二名法。イタリック体で表記する。その後ろのリンネウスはリンネの英語表記で著者名、年号は出版日付。1758年出版のリンネの『自然の体系』で記載されているという意味で、これらは学名につけても、つけなくてもいい。
■簡単に考えると、学名とは出版された「名前」の引用だと思ったら、実状に近いのかもしれない。
■1758年の『自然の体系 第10版』以後に世界中で出版されたものすべての中から、国際動物命名規約で厳密に定めた条件に合う名前で、いちばん最初に出版された名前を有効にしましょう…というのが「学名」なのだ。
■反対にいうと、242年の間に、出版されたすべての記載の名前を調べなければならないのが「学名」だ。そして、記載だけでは生物は分からない。その記載には「標本」が指定されている。いろいろあるが、いちばん重要な標本は「ホロタイプ」と呼ばれる「完模式標本」で、ぶっちゃけていうと学名とは、その、世界でたったひとつの「標本」の名前のことだと思うとよい。
■そんなむちゃくちゃなと思うだろう。そう、そんなむちゃくちゃな世界なのだ。世間は新種か新種でないかとすぐ騒ぎたがるけれど、研究者たちが慎重で「新種」ともいわず「未記載種」などといい、なかなか研究が進まないのは、こういう「壮大」な事情があるのだ。
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■もういちど、ナンヨウチヌの学名を書く。
■Acanthopagrus berda (Forsskal,1775)
■Forsskal とは、スウェーデンの博物学者、ペーテル・フォシュスコール(フォルスコルとも)のことで、有名な「リンネの使徒たち」のひとりである。リンネから「学名」が始まるのは、彼の生物分類体系がすばらしかったこともあるのだが、彼が「使徒」と呼んだ弟子たちを世界中に派遣し、標本を集め記載したことにもよる。リンネの使徒のひとりでもあるツューンベリ(ツンベルグとも) Thunberg は1775年に日本にも来て『日本動物誌』などをまとめている。1775年とは安永4年、杉田玄白らが『解体新書』を出版した翌年にあたる。
■フォシュスコールは、1761年にデンマーク王によって編成されたアラビア調査探検隊に加わり、世界ではじめて紅海の魚類調査を行った。調査中の1763年にイエメンでマラリアによって客死した。この探検隊で生きてデンマークに帰ったのはひとりだけだったという。この探検の時にイエメンの紅海で採集されたのがナンヨウチヌ。彼の死後、整理され1775年に出版された。完模式標本はZMUC P5055 デンマークのコペンハーゲン大学動物博物館に収蔵されている。もちろん見たことはないけれど文献によると dry skin となっている。乾燥した皮なのだろう。江戸時代に記載された学名の標本がきちんと保管されている。「ヨーロッパ」という文化の底力を思う。
            ■
■学名ひとつで225年の時空を超え、いろいろな空想もできる。魚類分類学とは、そういう「遊び」もできる。


初出●『ちぬ倶楽部』2000年4月号

[2428] 画像>ナンヨウチヌ 
2002/9/17 (火) 12:58:57 小西英人
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ナンヨウチヌ■1996年12月26日、西表島
TL30cm

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