2000年7月 4日

幸島に癒されること

自由業と呼ばれる仕事をしているので、仕事がない時は平日でも釣りに行く。
おかげで混んでいる釣り場がとても苦手になったし、渋滞も嫌いだ。釣れ盛っ
ている場所なら先陣争いも辞さずという根性もない。人の行かない時間帯を狙
って出直すだけである。

平日に釣りに行くことについての言い訳はいくらでもある。
仕事のペースは仕方ないとして、休みの確保とか、生活のレベルをどこで折り
合うかとか、年々増加する一方のストレスで心身を破壊しないための方策とか、
もちろん人生の設計についても、他人様に依存することは100パーセントな
い道を選んでいるので、心身が、特にココロが壊れそうな塩梅になってきた時
には、平日だろうが深夜だろうが、とにかく行く。それもまた自立というもの
であり、仕事に対する責任というものなのだろう。

「世間様が何といおうと」ではなく「世間様の御機嫌をうかがうことで自分を
甘やかさないために」平日に釣りに行くのだ。釣りも、こうなるとちょっとし
た覚悟がいる。大体、家で逼塞しているよりも釣りに出かけた方が、妻はよほ
どよろこぶ。釣りに行くとなると朝3時に起きて弁当を作り、玄関まで送りに
出る。

零細業界に息をする零細業者が、世間の目を気にしないで生き、遊ぶというの
は案外むずかしい。ぼくもこの心境になるのに10年かかった。誰だって世間
に対する小さな反抗としての、つかの間の自由を楽しんだ後は、取り残された
ような疎外感を味わうのは少年時代に体験済みのことだろう。それを生涯やり
続けなくてはならない。ぼくの仕事でいえば、締切までに十分なクオリティの
ものを納めることに全力を傾けるのが第一義なので、そのために必要ならば釣
りもしなくてはならないし、酒も飲まなくてはならない。悩んだり、不安にな
ったりするのはプロとして余計なことなのだ。

そんなわけで先日も釣りに出かけた。
正確にいうと考え事をしながら海岸線を車を走らせていたら、100㎞も走っ
てしまって日南海岸を駆け抜け、野生ザルで有名な幸島まできてしまっていた。

今、幸島周辺ではキスがよく釣れているのだが、すでに夕方になっていて、こ
れから釣りをすれば帰宅は深夜になる。面倒くさい。

宮崎のOLMの宿となる「旧家村」のおばちゃんに電話をして、泊めてくれる
ように頼むと「掃除もしとらんし風呂も今からは沸かせんが、蚊帳くらい吊っ
てあげるから、それでいいならおいで」といってくれた。

のんびりとキスを釣り、暗くなってから宿へ向かう。風呂は幸島の「サルのお
ばあちゃん」三戸サツエさんが経営する小さな温泉へと転がりこむ。85歳に
おなりなのに、あいかわらず聡明で、人間が大きく、ゆったりとほほえんで迎
えてくれた。ジャック・マイヨールも尊敬しているというこの人は、現代の偉
人であると思う。風呂代210円なり。

明治の初期に建った、庄屋どんの家のような立派な旧家の囲炉裏端で、ビール
を飲みながら本を読む。1冊読み終えて、2冊目は、8畳間いっぱいに張って
もらった蚊帳の中で読む。虫とともにどこからか入ってくる風が心地よい。

逃れれば、癒してくれる場所がある。
人生、そこそこ恵まれているかなと思う。

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