菊谷卓也君のこと
あなたがもし鹿児島や、ぼくたちのふるさとである谷山に何のゆかりもなくて、
菊谷卓也という名を知っているとしたら、もしかするとあなたは女性だろうか。
そしてミッション系の学校に通い、もしかすると合唱部だったりしただろうか。
世間では菊谷卓也という名は、カトリックの典礼音楽の作曲家として知られている。
あるいは、時々埼玉や東京で演奏するジャズピアニストとして。
実のところ、作曲家としての菊谷卓也を、ぼくはよく知らなかった。
ぼくの知っている菊谷君は、ものすごく姿勢がよくて、
澄んだ瞳をくるくると動かしながらよく冗談をいい、
男の気持ちがよくわかる(たぶん女の心も)、18歳の少年だった。
小学校、中学校と同窓だったけれど、クラスがちがったのであまり話をしたことはない。
彼はとにかく何をやらせても飛びぬけていて、かけっこも速いし勉強もできるし、
悪たれどもにも一目置かれるくらい、くだけたところももっている、
男の理想形のような男だったから、こちらはよく知っていた。
しかも、ピアノまで弾けたのだ。
高校時代、縁あって彼のお兄さんと懇意になり、よく家に遊びに行った。
卓也君は、コーヒーの鮮やかな香りの中で椅子に腰かけ、
ぴしっと背すじを伸ばして目をつぶり、レコードを聴いたりしていた。
その時も、あまり話はしなかったように思う。
何か話したとしても、こちらは、のんきな少年時代の反動で、当時はとがるだけとがり、
自分で自分をもてあましていたくらい、バランスの悪い状態だったから、
きっとろくなことはほざいていないのだろうと思う。
その菊谷君と、ばったりネットで出くわした。
いくつかのメッセージを交わすうちに、時間が一気に埋まっていく。
そういえば、10年くらい前、午前1時頃、急に電話をかけてきて
それもきっと、高校卒業以来なんてことだったと思うけれど、
朝まで話し込んだことがあったっけ。
菊谷君は、どんなにかいい男になっただろう。
会いたい人が、また一人できたなあ。
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