2005年1月 5日

菊谷卓也君のこと

あなたがもし鹿児島や、ぼくたちのふるさとである谷山に何のゆかりもなくて、菊谷卓也という名を知っているとしたら、もしかするとあなたは女性だろうか。そしてミッション系の学校に通い、もしかすると合唱部だったりしただろうか。

世間では菊谷卓也という名は、カトリックの典礼音楽の作曲家として知られている。あるいは、時々埼玉や東京で演奏するジャズピアニストとして。

実のところ、作曲家としての菊谷卓也を、ぼくはよく知らなかった。ぼくの知っている菊谷君は、ものすごく姿勢がよくて、澄んだ瞳をくるくると動かしながらよく冗談をいい、男の気持ちがよくわかる(たぶん女の心も)、18歳の少年だった。

小学校、中学校と同窓だったけれど、クラスがちがったのであまり話をしたことはない。彼はとにかく何をやらせても飛びぬけていて、かけっこも速いし勉強もできるし、悪たれどもにも一目置かれるくらい、くだけたところももっている、男の理想形のような男だったから、こちらはよく知っていた。しかも、ピアノまで弾けたのだ。

高校時代、縁あって彼のお兄さんと懇意になり、よく家に遊びに行った。卓也君は、コーヒーの鮮やかな香りの中で椅子に腰かけ、ぴしっと背すじを伸ばして目をつぶり、レコードを聴いたりしていた。

その時も、あまり話はしなかったように思う。何か話したとしても、こちらは、のんきな少年時代の反動で、当時はとがるだけとがり、自分で自分をもてあましていたくらい、バランスの悪い状態だったから、きっとろくなことはほざいていないのだろうと思う。

その菊谷君と、ばったりネットで出くわした。いくつかのメッセージを交わすうちに、時間が一気に埋まっていく。

そういえば、10年くらい前、午前1時頃、急に電話をかけてきて、それもきっと、高校卒業以来なんてことだったと思うけれど、朝まで話し込んだことがあったっけ。

菊谷君は、どんなにかいい男になっただろう。
会いたい人が、また一人できたなあ。

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