2005年3月26日

発作的ソウル旅(3)

二日目の朝、ホテルをキム・ヒョンチョル君が訪ねてきてくれた。キム君は卒業間近の大学院生で、前回の訪問の時に丸々5日間、通訳として同行してくれた人だ。誠実で、フランクで、いいやつなのだ。

今日は完全にオフなので一日つきあいますよ、といってくれる。キム君と一緒だと、ただでさえタクシーがつかまらないソウルの街で、極端に台数の少ない黒塗りの模範タクシーを探さなくてよいので、移動が助かる。もうどんどん白タクシーに乗って、カミカゼのようにソウルの街を右往左往した。

ソウルの街は、ひとつの業種がひとかたまりになる傾向が強くて、それを「コルモク」と呼ぶのだと黒田福美の本で知ったのだが、コルモクとはどうも路地のことらしい。

たとえば、楽器コルモクは大きなビル一つに楽器屋がびっしりかたまっている。御茶ノ水がひとつのビルに入っているようなものだ。御茶ノ水には、もちろんコンビニもあり喫茶店もあり本屋もあるのだが、なんとかコルモクと名のつくところには、ほんとにそれだけしかない。

時計コルモクは、狭い狭い路地をはさんで時計屋が100軒以上も密集しており、裏路地に入ると、さらに道は狭く、人が二人並んで歩くのがやっとなのだが、そこを無理やりバイクが走っていったりする。韓国特有の、巨大なキャリアをつけたやつだ。ロードバイクでもなんでもキャリアつきだ。

ここは何を買うでもないのだが、ただ歩いているだけで楽しい。子供の頃、一人で町を歩いてみた時のときめきを思い出す。町は、整理整頓されて見通しがよくなるほど、発見と誘惑を失うのではないか。

東大門市場も、昔は2000軒の露店が軒を並べていたそうだが、今はそれらがまとめてビルに入り、巨大ファッションビルがいくつかある。それなりに面白いのだが、昔の姿を見てみたかったと思う。

その意味で、南大門市場は天国だった。わけのわかるもの、わけのわからないもの取り混ぜて、わけのわからない勢いで売っている。アメ横を巨大化した感じなのだが、ノリ的には関西だ。それも昭和30年代の大阪だ。どてらいやつの世界なのだ。

わいわいわいわい、わいわいわいわい、いいながら、人波が盛り上がっているように見える。もちろん日本人も多いのだろう。われわれを見かけると、的確に、絶対に、あやまつことなく日本語で声がかかる。こちらには見分けがつかないので、どこで見分けるのか謎だ。

キム君によると、彼のようなシティボーイはこんな町には寄りつかない。もっとお洒落な江南地区とか、せいぜい鐘路3街あたりが守備範囲なのだという。

南大門市場の、大衆食堂コルモクのような路地でソルロンタンを食べる。白濁したスープに柔らかく煮込んだ牛肉が浮かぶこの料理は、二日酔いの朝とか、ちょっと軽めのお昼の定番だ。自分で塩やキムチで味付けして食べる。うまい。いうことない。こんな路地、近所にあればなあとつくづく思う。

さんざん歩き回ってホテルに帰り、W社のコウ会長と落ち合う。ほかに、五木ひろし似のキム社長と、もうお一方。前回の訪問はビジネスだったので、けっこうシビアな会話もあったりしたのだが、今回はプライベートなので、ひたすらにこにこと話がはずむ。

そのまま、今度は8人の大所帯となって仁寺洞へ向かい、韓定食からカラオケというコース。ほんと、韓国の男たちの遊びの時のエネルギーの爆発ぶりは、単純に高麗人参だのキムチだのでは片付けられない凄さがあって、カラオケ一軒だけで、こちらはへとへとになってしまう。

前回は、コウ会長と5日間ご一緒したのだが、飲め、食え、歌え、飲め、食え、歌え、飲め、食え、歌え、飲め、食え、歌え、時々シビアに仕事の話、の連続であり、高速道路で5人乗せて200km出すわ、ナイトクラブではテーブルに2つもフルーツが出てくるは、チャンポンは真っ赤だは、クロダイとクルマエビが山ほど出るわで、大変だったのだ。

旅の中で、「漬物と大根が食べられない」という、韓国においては致命的な食性がわかったデザイナー氏だったが、この夜の韓定食は口にあったらしく、うまいうまいと食べていた。こちらは、たぶん、韓国のもので食べられないものは何ひとつない体であり、もともと漬物人間なので、多種多彩なナムルと漬物が基本の韓定食は、飲んでよし、おかずによし。なんでもこいなのだ。

「この人は韓国人ですからね」
と、コウ会長がキム社長に言って、二人でにこにこと笑っている。

「韓定食が気に入ったなら、今度は全羅道に行きましょう。皿が40種も並ぶんです。うまいですよ。本場ですからね」

食いしん坊でよかったなと思った。もっと韓国人になりたいなとも。

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