2005年3月26日

発作的ソウル旅(4)

宮崎県中央部の方言で、「てげ、ひんだれた」というと、「非常に疲れた」という意味になる。

「てげ」は大概であって、英語のVERYのように使い、「だれた」は疲れたということで、それに強意の接頭語としての「ひん」がつくという具合に、文法としてもきれいに説明がつく。

ところが、韓国で「テゲヒンダレッタ」というと、これがそのまま、同じ意味で通じてしまうのだ。

これは一体、どういうことなのだ。きれいに説明できた文法はどうなったのだ。宮崎は九州内に隔離された韓国の飛び地だったのか。

もともと、ある時期、朝鮮と九州は同じ言語圏だったという説があるが、こういう例に行き当たってしまうと、そうでなきゃおかしいよなと思ってしまう。中央政府が確立する以前は、国家というものもなく、ただそれぞれに地方があり、せいぜい、小さなクニがいくつかあった程度で、海には国境も警備隊もなかったろうから、玄界灘のこちらと向こうを、自由に行き来していたのだろう。

まして宮崎は天孫降臨のクニである。天孫族というのは、中国南部なり朝鮮なりから船に乗ってやってきた稲作民族と考えて間違いはなさそうだから、何かのはずみで古代以前に存在した朝鮮・九州語が、溶けきらずに残ってしまった天ぷら粉の「だま」のように、今に伝わっていてもおかしくはない。いや、探せばきっと、他にもぼろぼろ出てくるにちがいないのだ。

うかつにも韓流ブームの真っ只中に初めて韓国を訪れて、その食い物のすべてが、まるでわが血管にはトンチミが流れているかのように体にしみじみとなじむことを知り、驚き喜んでいたわけなのだが、韓国の山河の風景が、まるで日本と同じなのだから、それも当然なのだろう。

まして、テゲヒンダレッタの国なのである。竹島もキムチもない。同じ言葉と文化を共有した相手なのだ。

こうなると国なんてつまらないから、この先は日本人ではなく、九州人なり宮崎人なりの地方人として、わが足元を見つめつつ、隣国の人々のことを考えた方がいいかもなあと思っている。

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