永島慎二も
うーん。今度は永島慎二か…。
子供の頃、家が貸し本屋をやっていたことがあり、漫画はむさぼるように、誰よりも読んだ。その中で、『若者たち』は、やっぱり子供心にも残った。
ぼくらより、ほんの少し上のガロ世代の人にとっては、大きな人だったろうと思う。20代前半からコンビを組んで今にいたる相棒のデザイナー・江川俊幸氏は、たしか永島さんに憧れて地元の放送局を辞め、上京して、永島さんと親しい大家さんの家に下宿していたはずだ。まったく偶然だったらしいけど、そのおかげで彼は、永島さんと時々は話をしたりすることもできたという。夢はかなうもんだ。
67歳。早すぎるということはないけれど、天野さんと同様、こういう心優しい人が逝くのは…。
コメント
まったくですな。その延長線上に80年代に入ってから
ニューアカデミズムなんてのが出てきて、
まあ、あれはPOPシーンの中の出来事と思えばいいけど、
世の中、真面目な人も多くて、議論に巻き込まれて困りました。
しかし、ヴィトゲンシュタインのTシャツなんてあったもんなあ。
Posted by JUN at 2005年7月 6日 20:55
あとは美術手帖とテアトロとユリイカと現代思想ですかね。
ああ、こっぱずかしい(^^;)。
Posted by しん at 2005年7月 6日 20:37
奇想天外の頃までは、日本のSFが面白かったですね。
いい作家もたくさんいて、精力的に書いていましたし。
読書の傾向がどんなにちがっても、筒井さんだけは外せないとか、
そういう時代だったように思います。
新井素子が出てきた頃が、ぼくの高校時代でした。
それから、ほんの一時の花火ではあったけれど、
びっくりハウスも、爆発的に面白い本でした。
雑誌を読んで、あんなにひっくり返るほどおかしい体験というの、
80年代以降、めったにないなあ。
Posted by JUN at 2005年7月 6日 19:37
奇想天外
またまた懐かしい。俺の大学卒論のテーマでした。
同時期に出たSFマガジンと比較対象論文。
広告の比率とか内容分析をして、なぜに奇想天外はつぶれたのかと言う、まあ、論文になっていたのかどうか、訳の分からない卒論でした。f(^^);;;
Posted by あるぽ at 2005年7月 6日 15:54
あるぽさん>
そうか。あるぽさん、阿佐ヶ谷でしたね。
九州に住んでいても、そこがどのようなところなのか、
なんとなくわかった気になっていたのは、
永島さんの漫画を通してだったのかもしれません。
李麗仙といえば、去年から時代劇専門チャンネルで
昔の「黄金の日日」をやっていて、全部見ましたけど(^_^;)、
唐さんとともに出ていました。
しんさん>
あの頃、自分が通ったジャズ喫茶の本棚に
何が置いてあったかというのは、けっこう重要かもですね。
思い出すに、ガロ、話の特集、奇想天外、詩学、
現代詩手帖…ってところだったでしょうか。
Posted by JUN at 2005年7月 6日 14:51
フーテンかな。でもあんまり理解できませんでした。
高校時代のJazz喫茶の本棚に置いてあったのを読みました。
その頃ガロでは、安西水丸が良く書いてました。
あとは、天才アラーキーですね。
アクションで花の応援団が連載されていた頃で、大好きでした。
ガロといえば、学生街の喫茶店のガロはどうななったんでしょうね。
全然関係ないけど、NHKの生活笑百科っていう番組に、この前フィンガーファイブのアキラが出てました(^^;)。
Posted by しん at 2005年7月 6日 08:01
阿佐ヶ谷でお店をやっている時、一度だけ永島さんお見えになりました。
阿佐ヶ谷は永島さんの漫画にはよく出てきましたよね。
特に喫茶店「ポエム」。憧れて真っ先にいった店がこの店だったが、この店も今はない。
ガロの永井さんもよく焼鳥屋でお会いしました。
その焼き鳥屋、ガード下にあって店主が唐十朗の奥さん李麗仙の実兄。そのお店もなくなっています。
時の流れを感じます。
Posted by あるぽ at 2005年7月 6日 02:53
コメントする