2005年7月11日

トンパチの死

レスラーが死ぬのは悲しい。

ディック・マードックやムーンドッグ・ロニー・メイン、アドリアン・アドニス、デイビーボーイ・スミスなんて人が比較的若くして死ぬたびに、あんなやつらでも死ぬんだと驚きつつも、いいようもない悲しさがあった。

大体、レスラーになろうなどという者は並の人間ではなく、精神的にもトンパチなのが多い。体も心も規格外なのがレスラーであり、ぼくらもそれを求め、彼らも時にそれを演じてきた。そのトンパチさゆえに、いざ死んでしまうと余計に悲しい。最近のレスラーではサムソン冬木(冬木弘道)がそうだった。あんなバカでも死ぬのかと。生きている時には一度も感じなかったいとおしさのような感情すら湧いてくる。

思えば、今の言葉のプロレスの人たちよりも、肉体の言語化という途方もない高度な表現をしていた時代のレスラーの方が、目の前から消えてしまった時の喪失感が大きいような気がする。彼らはマイクアピールも試合後のコメントも一切なしで、リングと時代がクロスするひとつの空間の中に、おのれの絵を描いていたのかもしれない。いや、もって生まれたその肉体の存在感だけで、それができる者もいたのだろう。

橋本真也も、思えばそういうレスラーだったと思う。最後のトンパチが死ぬことで、リングはますます普通のお兄ちゃんたちの世界になるのだろうか。

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