台風14号その後
今日は例によって台風一過の晴れとなった。ただし午後からは曇り空。
どうもいやな予感がすると書いたけれど、やはり洒落にならない台風だった。このくらいの被害だったことが信じられないほど猛烈な雨で、宮崎市の降り始めからの雨量が約600ミリ。南郷村では1300ミリというから、現実の話とは思えない。
今現在も、県内で約35000戸が停電しており、道路は大小問わず片端から寸断され、山間部では集落が孤立し、宮崎市でも水没した浄水場が復旧するのに1か月かかるという。それまではかなりの地域が給水に頼らなくてはならない。
それにしても、この程度の被害だったことが信じられない。
うちに出た避難指示は、大淀川の氾濫のおそれからだったわけだけれど、その大淀川は危険水位をとっくに超えて、これを超えるとあふれますよという計画高水位まで、あと数十センチだった。その数十センチを越してしまえば、最悪の場合市内の1万戸が浸水し、そのうち5000戸が床上浸水となっただろう。ハザードマップを見ると、水深5m以上に達するところも1000戸くらいあったかもしれない。そうなるともう古代同様、あたり一面泥の海であり、経済地盤の弱い宮崎では、復旧がどうのという話ではなくなってしまう。
5日の深夜、近所の町内会役員からの電話で避難勧告を知った時には、すでに家族は寝ており、これを起こして一家揃って避難することに躊躇した。やがて避難勧告は避難指示に変わり、地元の消防団が巡回してそれを知らせてくれた時も、避難の決心はつかなかった。そのうち、近くの避難所がすでに満杯であるという情報が入った時には、とにかく明るくなるまで様子を見ようと考えた。
大淀川があふれれば、いずれにしても孤立する。地形から考えて、最悪でも1階の浸水くらいで済むだろうから、そのまましばらくしのげばよい。小さな子供を抱えて避難したはいいけれど、避難所が満杯で帰るに帰れなくなるくらいなら、家にいた方が利口だろうという判断だったのだが、単に問題を先送りにしただけだったかもしれない。少なくとも、避難所がすべて満杯だということはなかったことは、あとになってわかった。やはり、こういう時は判断力もいつも通りではないのだろう。
結果からいえば、家族にしんどい思いをさせずに済んだのだが、ちょっと釈然としないものが残った。ほんとにあれでよかったのかなと。一家のアルジとしては、だらしないもんだと思う。
コメント
と~るさん
ごめんなさい。ちょっとばたばたしておりました。
今回、床上浸水というのが、ただ水に浸かるだけではなくて
生活の基盤を根こそぎ奪いかねないものであることがわかりました。
とにかくあれだけの規模になると、ゴミなどもずっと放置されたままですし、
あたりはひどい匂いがしているし、住民は疲れと怒りで消耗するし、
所得の低い方にとっては、床の張替えや家具の購入もむずかしく、
いつになったら、普通の状態になるだろうと思われるほどです。
山間部の惨状は、言葉にならないほどで、
諸塚村では商店街がそっくりなくなってしまいましたし、
椎葉村にはいまだに入ることもできず、復旧のめども立ちません。
こういうところは、ボランティアの活動の余地もありません。
何しろ、そこへ行くこともできないのですから。
Posted by JUN at 2005年9月23日 02:36
JUNさん、こんにちは。
あれから何日か過ぎましたけど、水害の後の状況はいかがですか?
去年の新潟や山陰の水害では、あとの復旧作業にボランティアの方が随分活躍されましたけど、今年の宮崎の水害ではどうなのでしょうか?
選挙の暴風に掻き消されて、忘れ去られてしまっているのじゃないかなあと心配してます。
Posted by と~る at 2005年9月16日 15:53
コメントする