2005年9月26日

水平線の向こうに

ひとつの分野で同じことを何年も続けていると、いつの間にかその道の専門家ということになってくる。

写真という、自分と対象の間にある不可視なものを定着させていく仕事は、その過程においてひどくよるべない心持ちになるものらしく、多くの写真家たちは、自分の領域を早く確立して、それをブランドとして大切に守ろうとする。

それはまったく、社会的に無所属な少年が、いくつかのことを切り捨てながらも「何者か」になろうとしていく姿にも似ている。それがプロとアマチュアのちがいだという割り切り方も、しようとすればできるのかもしれない。

そんな中で、黒木一明という人は、おそらく自分の色が固定されてしまうことを嫌がる人なんだろうと思う。アメリカの大地を、アラスカの川を、綾の森を、そして世界各地の水平線を撮りながら、彼は自分の写真が撮るべき対象や写真家としての手法によって枠をはめられることから、逃げていこうとしているようにみえる。

それは価値の破壊とか否定などという強いものではなく、「ぼくはそうじゃないよ。あなたが思っているような人間じゃないよ」と、つぶやく少年の言葉にも似ている。だから、彼の写真を見るたびに、どこか切なさを感じながらも、つかの間の心の自由を与えられたような気持ちになるのだろう。自由であるということは、どこまでも切ないものなのだ。

青い青い夏空に、打ち返された白いボールがラインドライブで飛んでいくように、その軌跡の残像だけを残して、人は少年期を通り過ぎていく。その中で得るものと失うものの両方を知りながら、黒木一明の視線は彼の内なる水平線を見つめている。

これから、彼の水平線の向こうには何が見えてくるのだろうか。

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宮崎空港で開催中の黒木一明写真展「水平線の色」に、
上のようなイントロを書かせていただきました。

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