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[1134] 魚あれこれ>書評…希少淡水魚について 
2002/6/8 (土) 06:34:46 小西英人
 この1994年に東京水産大学で行われた日本魚類学会のサテライト集会って、熱気にあふれ、ほんと、すごい雰囲気だった。ぼくは、これが初めて参加した学会であって、これに衝撃を受けて、以後通うことになった。

 しかし、淡水魚を守ろうとしている研究者は、このころといまもメンバー変わらず、言っていることも変わらず、そういう意味では、遅々として進まずというところなのかな。

 まあ、少なくともブラックバスを社会も問題視しはじめたことくらいが進歩なのか。

                           英人


■『釣魚図鑑』(小西英人編著・週刊釣りサンデー・2000年)より転載
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魚あれこれ
ぎょぎょ事典 番外

よみがえれ日本産淡水魚! 誰がために鐘は鳴るや

書評■
『日本の希少淡水魚の現状と系統保存』
●長田芳和・細谷和海編●日本魚類学会監修●緑書房


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■そのとき、そこに、ぼくはいた。たったひとりの釣り人として、研究者や、行政担当者のなかに、ぽつんと座って、不思議な熱気に包まれていた。1994年4月1日、東京水産大学。日本魚類学会年会が終わった翌日に開かれた「日本の希少淡水魚の現状と系統保存」という1994年度日本魚類学会サテライト研究集会のまっただ中に。
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■そして『よみがえれ日本産淡水魚・日本の希少淡水魚の現状と系統保存』という本が、このたび緑書房から刊行(※1997年である)された。編者の長田芳和・細谷和海両博士の「はじめに」から少し引用してみよう。
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■(前略)依頼した12人の話題提供者は、希少淡水魚の系統保存にかかわる活動を、生息地、実験室、および行政において経験された方で、それだけに示唆に富む話題が次々と提供された。参加者からも熱心な質問・意見・提案が述べられ、午前10時から午後5時までの予定時間内にはとても収まるようなものではなかった。会場全体が淡水魚の存続の危機感にあふれ、期待感と絶望感が交叉した一種独特の雰囲気がかもしだされていた。このままでは終われない。これが当研究集会の結論であったように思う。本書はその証である。(後略)
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■ほんとうに研究集会会場の熱気はすごかった。
■交雑し遺伝子がぶれたニッポンバラタナゴ、いったいどういう個体がニッポンバラタナゴなのか分からなくなったという長田博士の問いかけは重すぎ、会場を、饒舌に沈黙させた。絶滅した沖縄のリュウキュウアユを戻すための放流活動に、鋭い批判がわきおこり、返す刀で、湖産アユの全国規模の大量放流に批判が集中した。あるオブザーバーがすくと立ちあがった。「アユは経済種である、議論の必要なし」と彼は断じた。白熱していた研究者はいっせいに興ざめし、議論をうち切った。
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■淡水魚は地理的隔離によって独自の分化を遂げようとする遺伝的固有性と、異なる集団間でときどき交配して変異性を回復しようとする遺伝的多様性という、いわば相反する特徴を併せもつ−と細谷博士は書いている。
■地理的隔離によって固有種が生まれてくる。これは現在同種とされている種内でも、そうであり、たとえば、琵琶湖のアユは固有の遺伝子プールを持ち、日高川にのぼってくるアユも固有の遺伝子プールを持つ。自然は数十億年をかけた微妙なバランスの中で、これらの種を地球に残してきた。日本人はたかだか、ここ数十年で、何も考えず、このバランスを崩そうとしている。
■基本的にはすべての「放流」はいけない。淡水魚とは風土が創ったものであって、その風土固有の遺伝子プールなのだ。日高川のアマゴは、あくまでも日高川のアマゴであって、わけのわからん種苗からとったアマゴは、あくまでもわけのわからんアマゴであって、これを放流してしまうと、日高川のアマゴの遺伝子プールは攪乱され、下手をすると永久に失われてしまう。
■保護というなら「放流」ではなく「産卵床」の整備などをして、その地域個体群を保護しなければいけなかった。日本の社会は安易で危険な道を選んでしまった。
■釣り人は、この危険を知らない。知らなさすぎる。知らないまま、いつのまにか圧力団体と化して日本の風土を破壊している。「アユは経済種」という言葉は、そういう意味で、とても恐ろしい響きを持つのだ。
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■海水魚も問題は同じ。ただ器が大きいから、問題が顕在化しにくいだけで、放流はすべて「悪」なのである。そして科学的検証を受けない放流は自然保護ではなく自然保全でさえなく、遺伝子の攪乱、または汚染という、取り返しのつかない生物学的被害をあたえる。
■知らないというのは、現代では罪悪である。
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■系統保存を考えるとき、遺伝的固有性と多様性という矛盾が問題を難しく、見えにくくしているのは事実だ。本書は、研究者が最大限に「ふつうの言葉」で書こうとしてくれている。しかし、集団遺伝学的な知識が下敷きにないと、ちょっと分かりにくいかもしれない。しかしこの本に詰まっている、あの会場の熱気と、研究者の血を吐くような言葉に、釣り人は耳を傾けてほしい。
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■『トゲウオのいる川』(森誠一著・中公新書)から引用する。『淡水魚保護』が1992年で終刊になった。十数年にわたって刊行されてきた淡水魚保護協会(理事長木村英造)の機関誌が存在しなくなった。しかも、協会自体も解消された。これは大変なことだ。この出来事は多分、きわめて近い将来において、われわれにその事の重大さを一層痛感させるだろう。これで全国レベルでの情報誌はなくなるからであり、誰が何をどのようにやったかは知られないままになることがより多くなる。記録として残ることもなくなり、淡水魚保護の過程や歴史の証言が個人の記憶だけという羽目に陥ってしまうのだ。
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■研究者や魚好きをとりまく行動環境も悪くなった。淡水魚保護協会の解消は微妙な陰影をおとした。このサテライト研究集会の発端も『淡水魚保護』終刊号の座談会にある。淡水魚好きのネットワークがなくなった。
■それに代わる、いや、これからの出発点にしなければならないのがこの本『日本の希少淡水魚の現状と系統保存』だと思う。買うという経済行為によって連帯できることがあり共通の土俵にあがれることがある。われわれ魚好きは淡水魚保護協会を、そういう意味で見捨ててしまったのかもしれない。同じ轍は踏まないでほしい。
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■河口湖にクルメサヨリやクサフグが泳ぐという。ブラックバスが漁業権魚種に認定され、北浦や霞ヶ浦のブラックバスを買いあさり放流を続けるからである。河口湖は放流釣り場でもなければプールでもない。放流義務の伴う第五種共同漁業権というのは、成果はおさめたと思うが、もう、見直さなければいけないのだろう。
■細谷博士は本書で釣り具メーカー、漁業協同組合、釣り団体にミチゲーションをもとめる提案をしている。
■ミチゲーションとは、簡単にいうと「補償」である。自然を使わせていただいて損ねてしまうのなら、その分を補償しましょうという考え方である。
■釣りは悪いことだとは思わない。水辺の環境を五官で知ることができ、魚を好きになる。しかし、知らず知らず、すさまじい環境負荷をわれわれは水辺にかけてしまっている。ローインパクトをこころがけて、なおかつ、われわれの補償をも真剣に考え、議論しなければいけない時代なのだ。そして漁業権魚種のみ、どぼどぼ放流したら資源は守られ、人は幸福だという二十世紀は、ぼくらの、頭と口と手で、終わらさなければいけない。
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■希少魚は絶滅すべくして絶滅しているのであって、それを守ったからといって、人の役には立たないという議論もある。そういう人は、人も生物であって、環境に厳密に規定されてきたということを忘れている。日本の風土が産んだのが「日本人」であって、その自然は、美しく多様であった。川は「どぶ」と化し、さまざまな日本の固有種をあっというまに消し去ってしまうような風土に育つ「新日本人」など、想像もしたくはないのだ。
■耳を澄ませてほしい。釣り人なら、はっきりと聞こえるだろう。葬送される日本の魚たち。その弔鐘を。
            ■
■ゆえに問うなかれ
■誰がために鐘は鳴るやと
■そは汝がために鳴るなれば


初出●『週刊釣りサンデー』1997年10月12日号