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[8813] 乱麻>移入種>タイリクスズキのことなど 
2003/10/6 (月) 18:42:50 小西英人HomePage
 週刊釣りサンデーの今週発売号、『怪投乱麻』で、移入種、タイリクスズキのことなど書いたので、転載しておきますね。

 タイリクスズキとは、下のスズキです。

■タイリクスズキ 【WEB魚図鑑】より
http://fishing-forum.org/cgi-bin/zukan/zkanmei.cgi?sel_no=000&mas=000007


■怪投乱麻■No.104週刊釣りサンデー2003年10月19日号より
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第三の鱸。不幸な魚にならないで


移入種
大陸のものは大陸で釣ろうぜ!の巻


■シロギス。マコガレイ。キュウセン。アイナメ。カサゴ。
       ■
■長く釣り人やってる。さまざまな魚とめぐりあってきた。
■標準和名など記号にすぎないと強がり呟いても、ヒトは言葉の動物、カタカナの羅列にすぎない言葉に反応してしまう。
■プチット・マドレーヌを紅茶に浸してコンブレーの全記憶が頭の中にひろがるのは『失われた時を求めて』だが、香りならぬカタカナから少年の日の、瀬戸内の海、波、砂、陽のぬくもりなどが、一気に広がることもある。このごろ最近のことより大昔を覚えている。きのうの夕食は忘れても、ふと思いだす初めてのシロギスはリアルだ。それは、過ぎし時が美化した偽りの現実かもしれないけど、皮膚感覚として甦る。ぼくも、来し方の方が、行く末よりも長い歳になってきたせいだろうか。
       ■
■甘美な記憶ばかりではない。釣り人の半生には喜怒哀楽すべてがある。時がたとうと辛い名もある。ぼくはホシスズキと並ぶカタカナで、愛憎相半ばする微妙な感情に溢れてしまう。
       ■
■一九九二年の、ある日。千葉県立中央博物館の望月賢二さんと、当時、京都大学瀬戸臨海実験所にいた荒賀忠一さんと機嫌よく話していた。『さかな大図鑑』の続編をだそうと、原案を叩いていた。ぼくの手元に愛媛県松山市のASCの木下哲夫会長から送られてきた一葉の写真があった。宇和島市の来村川で釣れた、彼らが「斑点すずき」と呼んでいたスズキの写真だった。望月博士に見せると、さすがによく知っていて、ああこれね、片山正夫博士が変異型としてるんだけど別種の可能性もあるなあ。標本手に入れてよ。
■その年の十二月十二日、木下さんたちに連れられ、来村川に立っていた。「すずき」は入れ食い状態になり、望月さんところに送ったのは三十八個体、このうち八割が「斑点すずき」で残りがスズキとヒラスズキだった。しかし、この時に宇和島市周辺で香港から買いつけたスズキ種苗養殖が盛んになって、それと、そっくりだという話も聞いた。この、香港スズキを追いかけつつ『週刊釣りサンデー』一九九三年一月二十四日号で斑点すずきの記事を書いた。『第三の鱸・ホシスズキ』というタイトルだった。いろいろ悩んだすえに「ホシスズキ」という仮称を使って書いたのだった。
■それから忙しかった。情報を集め、取材に走り回った。京都大学の中坊徹次博士も参加してきて、望月博士と三人で、稚魚ビジネス界の大物とあったりした。やはり輸入された中国産スズキだった。台風で逃げだしたのだ。ただし、中国産スズキも日本産スズキも同種とされていた。しかし顔つきが違った。別種であろうと思われた。ぼくは望月博士、中坊博士の、生の激しい議論を聞き鍛えられた。これほど、勉強になったこともなかった。学生時代は、釣りばっかりして勉強などしなかったから、知的興奮というのが、これほど面白いとは知らなかった。『さかな大図鑑』の編集で、ぼくは荒賀さんに魚類学の種子を心に埋めこまれた。『新さかな大図鑑』の編集で、いや、ホシスズキで、一気に花開いたのだと思う。ホシスズキは、ぼくにとって、特別な魚になった。
■そんなころ、あるシンポジウムで、ある研究者に、まだわかっていない魚を、活字で「ホシスズキ」などと書かれたら困ると批判された。あくまでも記事上の仮称であって和名提唱したわけではないと反発したが、名前は一人歩きする、同じことだと断じられた。悲しかった。
■研究の中心は京都大学に移り遺伝子の解析から別種だとはっきりした。一九九五年に『新さかな大図鑑』を刊行し、この本で中坊博士が和名提唱をした。このとき日本にはいない魚とはっきりしていたので、和名をつけるかつけないか微妙な判断だった。しかし東シナ海産の天然ホシスズキが市場に流れたり、種苗生産業者が「ひらすずき」と名づけて流したり、真に受けたNHKがニュースで「ひらすずき」と流したり、混乱が始まっていた。中坊さんは日本産とは違うと、はっきりするように「タイリクスズキ」とした。
       ■
■京都大学は、研究を続けている。遺伝子を解析すると有明海産スズキは、驚くべきことに、日本のスズキと、中国産タイリクスズキの中間型だった。海産魚ではじめて報告される、交雑起源の種が有明海産スズキの可能性が高い。もうすぐ、はっきりするだろう。この有明海産スズキは日本海がなく、有明海が古黄河の河口だったころの大陸遺存種として貴重な種の可能性がある。しかし、タイリクスズキが侵入して交雑すると遺伝子に残された過去の記録はむちゃくちゃになる。いまのところタイリクスズキは日本で自然繁殖していない。しかし、養殖から逃亡した魚だけで、これほど全国に広がるだろうか。釣り人が手を染めていないだろうか。
       ■
■二〇〇〇年に「シマスズキ」が東京湾奧の運河で釣られた。シマスズキとは一九七九年に阿部宗明博士が提唱した和名、北米の大西洋にいる、現在スズキ科の魚とされてはいるが、スズキの遠縁の魚で、ストライプドバス、もしくはストライパーとも呼ばれる。これが東京湾奧で釣れた。霞ヶ浦では定着している可能性もある。管理釣り場で「淡水スズキ」などとも呼ばれ客寄せに使う。客に渡すときは殺すというが、管理釣り場におさめる養殖業者が霞ヶ浦にあるらしい。「客」って釣り人なんだろうか。釣り人は海さえ変えたいのだろうか。こういう行為が海への「負荷」になるって自覚しているのだろうか。タイリクスズキも「好ファイター、ホシスズキが入荷」なんて宣伝される。見つけられて、十年たったいまも「ホシスズキ」は一人歩きして、ぼくを苦しめる。
       ■
■養殖から逃げだしたとはっきりしたとき水産庁に電話した。法律的にまったく問題ございません、高級官僚は冷ややかだった。いまになってやっと、固有の生態系を乱す移入種対策を検討する中央環境審議会の移入種対策小委員会の中間報告素案がでてきた。まだまだであるが環境省、国さえ動きはじめた。
■ある生物は、風土とまわりの生物、環境が厳しくつくりあげた。その環境を変えると、生物は、どんどん変わる。それは、よい方向には、変わらない。
■お願いだから、むかしの名前で呼ばないで。お願いだから、ぼくが、タイリクスズキと出合うのは、大陸だけにさせて。

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