2007年7月 6日

ステレオ7月号を読む

オーディオ雑誌『stereo』7月号といえば、かつて自作派マニアならどうしたって買わなきゃしょうがないというようなものだった。「工作人間特集」では全国のマニアの作品が載り、長岡鉄男は新作のスピーカーを5種~7種ほども発表し、常連の評論家諸氏が自作スピーカーの出来映えを競い、「音の館」では編集者たちがそれを聴いて自由闊達に論評する。

どのページをめくっても、わくわくどきどき。新しいトライと知見にあふれた(主にスピーカーの)自作特集だった。この号と、毎年のベストバイコンポが発表される12月号が『stereo』の書き入れ時でもあっただろうと思う。

たまたま手元にあった1999年7月号を見てみる。長岡鉄男にとっては存命中に刊行された最後の「stereo7月号」になってしまったのだが、御大はこの号で一挙に12機種の新作スピーカーを発表している。こんなラインナップだ。

・D-105(6N-FE88ES使用のCW型バックロード)
・BS-64ダントン(FW187、FT48Dの2ウエイバスレフ)
・F-79アイオロス(PE-16Mの大型ダブルバスレフ)
・D-167フロッグメン(背の低いバックロード)
・F-63ダブルヘッダー(FE103を前後に2発使うダクト兼用スタンドタイプ)
・F-54ミーアキャット(6N-FE88ESとFW187の首長バスレフ)
・BS-69トップベース(天板にウーハーを持つバスレフ)
・BS-140 SEASIDE(SEASのユニットを使う2ウエイバスレフ)
・F-56ゴードン(EAS16F202発とFT27Dのバスレフ)
・F-67オーバードライブ(FE167によるダクト兼用スタンドタイプ)
・F-50バック転(FW127を2発とFT48Dによる共鳴管)
・BS-100曲がり屋(FF125Kを2発。L字型キャビネットの実験作)

この製作記事だけで冒頭から58ページまでを占める。そして評論家たちのスピーカー競作は、石田善之、入江順一郎、江川三郎、金子英夫、神崎一夫、須藤一郎、長岡鉄男、福田雅光という、今思うと大変豪華なラインナップだ。彼らがフォステクスの限定ユニット6N-FE88ESを使ってスピーカーシステムを自作する。それぞれの評論家の感性や主張がカタチに現れていて、非常に楽しい。

で、2007年7月号を、これもひさしぶりということもあって、本屋ではけっこうわくわくして買ってきた。中身を見てみると、まずスピーカー競作に登場する評論家の皆さんの顔ぶれがさびしい。石田善之、神崎一夫、江川三郎、須藤一郎、遠藤正典、浅生の6人しかいない。遠藤、浅生という人はまったく知らない人だった。

カリスマ長岡鉄男と、わが道をゆく江川三郎は別格として、ステレオ誌の評論家陣は、金子英夫、入江順一郎の両氏の人並み外れたアクの強さと繊細な感覚、そのダイナミズムを軸に、上質を知り育ちがよく、木工の達人でもある石田善之、中庸でおおらかな神崎一夫、骨太な評論の藤岡誠といった面々がゆるぎない誌面を作っていたわけだけど、長岡、入江両氏はすでに物故し、今月号では金子英夫氏も体調不良のため誌面に穴をあけている。

写真を見ても、たった8年の間に、まあ、皆さんお年を召されたこと。ふさふさで真っ黒なオカッパ頭がトレードマークだった石田氏は全面的に白髪となっており、あの精力のかたまりみたいな江川氏も、すっかり...という印象だった。

時代がオーディオからAV、あるいはVAへシフトしていく中で、ピュアオーディオ2chの雑誌に、新しい強力な評論家が育たないのは仕方ないことではある。ぼくにしても、今回この本を買ったのは、サラウンドのリアに使えそうなスピーカーを誰か作ってないかな、ということだったし、同時にAVアンプは最近どうなってるかなということでもあった。全然ピュアオーディオでも2chでもないのだ。かといって、その要求に応えてくれる他の雑誌も見当たらない。

それにしても、この8年でずいぶん本が荒れてしまった。特に上記評論家たちをのぞく新顔の執筆陣の文章がひどい。編集者が自分で書いた記事の文章もひどいのがある。とてももの書きといえるレベルではなくて、語弊があれば先に謝っておくけれど「そこらへんのブロガーにも負ける」レベルだ。これを載せる編集長の仕事の質が落ちたということもいえる。

考えてみればこの8年という時間は、ネットが普及した時間でもあった。工作人間特集にしても、今は自前でサイトを作れば、1年間心待ちにして応募するというようなこともない。そして、誰でもいつでも、文章や作品を発表できる時代でもある。編集サイドとしても、そうした勢いを取り込もうという考えもあるのだろうと思うが、雑誌には雑誌の守らなくてはならない水準というものがある。

そこを見失うと、雑誌の存在意義すらが失われてしまう。かといって、ちゃんとした知見と水準をもった評論家やもの書きは、これから減りこそすれ増えることはない。それでもせめて、悪ふざけやネット風の手前突っ込みのような、見苦しい文章には赤を入れてほしい。それをやらないと、素人がいつまでも素人のままだ。

長岡鉄男の死とともにオーディオが死に、オーディオが死ねばオーディオ雑誌も死ぬのだ。なんて安易な話ではない。長岡鉄男は、1988年の方舟進水時からすでにVAにシフトしていたが、それから先の活躍ぶりもすごかったのだ。

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