2008年4月21日

映画>監督・ばんざい

『監督・ばんざい』(北野武監督/2007)。

これまで、北野監督の映画は『座頭市』しか観ていない。暴力とナルシシズムが嫌いなので、たぶん、そういうもんだろうという先入観から避けていた。というよりも、ほかに観たい映画がいっぱいあったこともある。

この映画は、去年の暮れに閉鎖になってしまった宮崎ピカデリーで上映されていて、これも先入観だけど、その映画館にはとても似合う映画なのだろうなと思っていた。

有名監督の作品だし、ヴェネツィア国際映画祭で「監督・ばんざい賞(Glory to the Filmmaker! award)」というものが新設されたくらい、あちらではウケたこともあり、国内でも話題になっていたので、内容については省く。

いわゆる馬鹿映画である。といってしまえばミもフタもないのだが、なんというのかな、どこか身びいき的に応援しつつ観てしまった。要するに、ヨーロッパの観客が、ビートたけしを初めて観た映画ってことになるんじゃないだろうか。つまり、たけし風のギャグ(コケたり、挨拶をしようとしてマイクで鼻を打ったりする)が満載であり、かつ下品であり、下ネタも満載であり、わけわかんないわけであり、そういうビートたけしを観てみろこのやろ的な、われながら不可思議な感情である。

「きゃーはははー、井手博士ですよー」といって出てきた井手らっきょは、本名も井手博士(ひろし)という。この人は、九州の医学部だけが有名な大学の商学部出身で、つまりぼくと同じだ。年は一緒なのだが、こちらの都合で一級先輩で、何度かソフトボールやコンパで一緒になった。とにかく身体能力が抜群で、運動神経のかたまりのような人だったのだが、なぜか猪木の真似ばかりしていた。

異常なほどの怪演をみせたのは、江守徹だった。シェークスピア俳優が本気になると、やはり馬鹿も生半可ではないということだろう。見どころとしては、この人につきる。といっても、観なくても別に困る映画ではないかもしれない

監督自身の存在そのものが、ひとつのアイコンとなって、時代や観客との関係性を遊ぶという意味では、ウディ・アレンの一連の作品に通じるものがある。といってしまっていいのかな。空気としてはそんな感じだった。一方、この作品でウディ・アレンの凄さがよくわかった。彼は、あんな映画を50本も撮っているのだ。

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コメント

北野監督作品が私には未だにその良さが分らない・・のです。
確かに、座頭市なんかは面白いとは思うのですがね。これほど騒がれる理由が理解できないです。

「監督・バンザイ」なんかは、私的にはゴメンンサイでした。
無理やり、北野監督作品だから良い物だ・・という理屈を見つけようとしてるように感じます。クリエイティブな方から見れば、それでも良い物なんかもしれませんが・・・。

サルモサラーさん

ぼくも、これと『座頭市』しか観ていないので、なんとも(^^;)。

『真夜中の弥次さん喜多さん』を観て、世の中には馬鹿映画とでも呼ぶべきジャンルがあるのだなということを知りましたので、こういう映画もあるんだなと、わりと普通に受け止めてはおります。ビートたけしという日本の文化を(それが誇れるものかどうかはおいて)、海外に露出する機会になる映画ではあるんだろうなとは思います。

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