2008年5月12日

映画>レッドバロン

『レッドバロン』(ロジャー・コーマン監督/1971)。

第一次大戦の空のエース、フォン・リヒトホーフェン。80機撃墜という突出したスコアを持つ彼の名は、赤く塗られたフォッカーの三葉機とともに記憶される。

イギリスの作家レン・デイトンはこの時代の空戦と、その後の空軍のあり方を「単なる剣戟ごっこから一転して冷酷無惨な科学技術の戦いに変えてしまったところの...」と書いたけれど、この映画のひとつのテーマもそこにある。映画の冒頭から30分間ほどは、英独両軍の戦闘機同士が空で出会い、やあやあと一騎打ちを始める。どうもあの分では、大体何時頃、あの空域でという感じで両軍が落ち合っていたのじゃないかと思えるほどだ。

リヒトホーフェンはエリートの集団だった第11戦闘機中隊長に、23歳の若さでついている。彼に戦闘術を教えたのは当時のエース、オスヴァルト・ベルケ。ベルケと同世代のエースには、インメルマン・ターンのマックス・インメルマンがいた。

そして同じ隊にはヘルマン・ゲーリングがいた。後にナチスのナンバー2となるゲーリングは、この隊にいるくらいだからすでにエース級のパイロットではあったのだけれど、士官学校時代の成績は飛行訓練を受けさせてもらえるほど優秀ではなく、友人のパイロットが偵察員として無理やり飛行隊に押し込んでしまったという話が残っている。

リヒトホーフェンにかぎらず当時の英独軍パイロットたちの多くは、貴族出身だったようだ。だもので舞踏会には出るわワインは飲むわ、明日ぶつかる敵に敬意を表して乾杯はするわで、空の騎士道というものが残っていた。陸では機関銃や戦車が登場して騎兵の居場所がなくなったこの戦争は、敵味方ともかつて経験したことのない大量で凄惨な死を目の当たりにしていたわけで、せめて貴族が空を飛ぶ戦闘機に一抹の人間味を託していたのかもしれない。

しかし、それにも終りがくる。映画では英軍が昼食中の独軍基地を空爆した。空で1対1で戦っていた者が、卑怯にも地上の機や人員を無差別に爆撃した最初の一回、というものは確実にあったわけで、その衝撃の大きさは想像できる。

レッドバロンときくと古き良き騎士道の時代に、三枚も翼のある機体を酔狂にも赤く塗って、ちょびヒゲをはやしてゴッグルをつけたおじさんが、くるくると空を舞うといったような古ぼけたステレオタイプのイメージがあったのだけれど、この映画はノスタルジーとかユーモアといったものとは遠い。やはりそこに描かれているのは戦争であり、戦場から人間性が後退して大量殺戮の近代戦が始まったその瞬間である。

そして1918年4月、ひとつの精神の死とともにリヒトホーフェン男爵は26歳で戦死。跡を継いで中隊長となったゲーリングが、ナチに入党するのはその4年後のことだ。

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