2008年5月19日

映画>三文役者

『三文役者』(新藤兼人監督/2000)。

昨年4月に続いて2度目。どうもこの映画はお気に入りになっているのだと思う。時々、思い出していた。

ここ数年、流通しているへんてこな「癒し」は脇において、この言葉について考えてみると、人はある種のバカあるいはバカな行為を目撃すると癒しを感じるというのはほんとのことである。世の中の微笑をともなう癒しの67%くらいは、これでできている。渥美清もたこ八郎も長嶋茂雄もみんなそうであるか、その変型なのだ。

だから落語家も、どうしたって桂文楽よりは古今亭志ん生の方が人気があったし、古今東西、男女の出会いのシーンで男がコーヒーをこぼすとか、バナナの皮で滑るとか、頭上から金ダライが落ちてきてカンと頭で受けるとか、そういうバカなことをやって女がほほえむところから愛が始まるというのは、実にこの点なのである。癒し=快感を与えてくれた男を悪く思うはずがない。たぶん。おそらく。メイビープロバブリー。

で、おとといは、こりゃひょっとすると明日の朝は目を覚まさないんじゃないかというほど体調が悪くて、今日はだいぶましだったけど、さすがにこんな状態が三週間も続くと、いささかまいってしまっており、それでも映画は観たいので、セレクトに苦労するわけです。

「旅の重さ」は重そうでだめ、「素晴らしき哉、人生」もちょっと気分でない、まして「浮雲」とか「飢餓海峡」なんかだと、そのまま寝込んでしまうかもしれない。こういう、あまり前向きになれない、あるいは人の不幸な物語をみて自分を救うことができない気分の時には(もともとそうだけど)、さっくりとバカを観たくなる。それも愛すべき、敬うべきバカでなくてはならない。

そうすっと、もうあんまり選択肢はないのですね。そういうバカを描けているなら、その作品は名作と呼ばなくては仕方ないわけで、そんな映画がざらにあるわけはない。

竹中直人の殿山泰司物語。まさにそんな作品なのであります。

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