2009年6月12日

鮎師と船に乗る

5日に釣りフォーラムのメンバーと船を出したのだが、帰宅してみたら新しいパソコンが届いており、そいつがまた、頻繁にブルースクリーンを繰り返すので、三日ほど張りついていたら疲労コンパイしてしまって、ブログの更新どころではなかったのだった。結局、初期不良ということでメーカーに返送したのだが、おれの三日間をどうしてくれるのだ。

5日のキス釣りの話である。関東の鮎師にCHAPさんという方がいて、鮎仕掛けの逸品『アユツール』の開発者として、業界ではよく名を知られた方なのだが、釣りフォーラムの古手のメンバーでもあり、1992年の五ヶ瀬川OLMで初めて宮崎を訪れて以来、ほぼ毎年、宮崎にやってくる。

ここ10年ほどは、6月の鮎解禁と、11月の旧家村OLMの参加が、ほぼデフォルトになっているので、年に二回は宮崎のどこかで竿を出すわけである。

そのCHAPさんの、ここ数年の相棒がしげさんで、今回も10日間ほど休みをとって長駆群馬から二人で車に乗ってやってきた。解禁日は川辺川に入り、そこそこいい釣りができたそうだ。

近年の五ヶ瀬川の悲惨な状況に、胸を痛めている一人でもあるのだが、それでも、北方町の川なみドライブインのチャンポンを食べたいがために、また、ドライブインの階下にある、顔見知りの鮎師専用の和室で泊って、サケを飲みたいがために、ほぼそれだけのために、五ヶ瀬まで移動してきたわけだ。

最近の五ヶ瀬川の状況は、まったくひどいものであるらしく、オトリ屋が解禁から3日で店を閉めたなどという話も伝わっている。言いたくはないが、産卵期の鮎をブルドーザーで作った瀬に集め、片端からコロガシで取ってしまう瀬掛けと、川を下ってくるやはり産卵期の鮎を取るヤナを、大幅に縮小するか、あるいは数年間、禁漁にしないことには、五ヶ瀬川漁協は全国の川ファン、鮎ファンに対して申し開きができないのではないかと思う。

鮎が減ったら放流すればいいというものではない。ただ鮎の形をしているだけの人工鮎を釣るために、関東から来るバカはいないのだ。五ヶ瀬の自然に敬意と愛着があるからこそ、悪いと聞きながらも淡い期待をもって、ここまでやってくるのだから、地元は川への敬意と愛着を、もっと具体的な形にして表わさなくてはならないのではないか。

今、日本のナチュラリストの標準的な心情として、ここまで極端に鮎が減った川で、変わらずに瀬掛けやヤナを続けるというのは、論外であることを知るべきだろうと思う。

もっとも、漁協ばかりを責めるのは筋違いであって、五ヶ瀬川はこの10年ほどの間に、すっかり様変わりをしてしまっている。台風が来るたびに、石が流れ、瀬は土砂で埋まり、荒瀬は平瀬になり、その平瀬はまた数年でチャラ瀬になり、淵はなくなり、全体に砂だらけののっぺりした川になってきた。

杉を異常に植え過ぎたために土壌がもろくなって、すぐに山が崩れて川に流れ込む。温暖化の影響もあって、台風や雨が以前よりパワーを増しているために、「想定外の大雨」がしょっちゅう降る。上流にダムがあれば、石は流れるままに流れて、新しい石が供給されてこない。

もう川はズタズタになっていて、当然、川が魚を養う力も衰えている。だからこそ、川に向き合う人々の集まりであるはずの漁協は、知恵を発揮しないといけない。新しい川の基準の中で、どうやって長く、人と川が支え合うかということを考えなくてはいけない。川が置かれている状況が、明確に変化していることを知りながら、既得権を振り回すだけでは仕方ないではないか。という話である。

船釣りの話なのに、鮎の話が長くなってしまったが、富美丸に乗っかったCHAPさんとしげさんは、そういう複雑な心情の中で、毎年宮崎に来ているわけだ。本来、6月5日に、鮎師が5人も船でキスを釣るなんてのは、どう考えても異常なことなのだ。そして、どこか悲しいことでもある。

熊本の勝三郎さんは、もともと渓流のテンカラ師だったのが、天草OLMで初めて海釣りを目の当たりにして、投げ釣り、波止釣りに目覚め、3年ほど前から鮎釣りも始めた。人吉のあるぽさんは、釣りフォーラムのフライ会議室の議長をやっていた人であり、フライ師として筋金が通っているのだが、鳥取時代には盛んに海釣りをやり、この6月1日から鮎釣りを始めた。

15年前の五ヶ瀬の、あの素晴らしい川と鮎を知らない二人は、幸せであるのか、不幸せであるのか、とっくに鮎釣りをやめてしまっているワタシとしては、ちと複雑である。

船長の流星号さんは、鮎は突くものだと思っており、解禁日もそこそこの漁をしてきたそうである。渓流みたいな小場所を探せば、まだまだ宮崎にもいいところはあるのだが...。

まあ、そんなわけで、小雨の中で6人が日向に集まり、例によって、でんでこ、でんでこ、でんでこ、でんでこといって、沖へ出ていったわけである。

浅場のキス釣りというのは、この世に残された釣り人の最後の楽園になるのかもしれない。それが、宮崎でもとびきりの場所であるとなれば、雨で水温が下がり、ややウネリも入って、多少コンディションが悪かろうと、どうにか釣りらしい形にはなってくる。

コマセも撒かない、技術もいらない、道具も関係ない。ただ、ゴカイをつけて軽いオモリを放り込み、ワンカップ焼酎でも飲んでいれば、バチバチバチ、と竿先に閃光が走って、でかいキスが、あれよあれよと釣れてくる。

これでいいんじゃないかと思う。いつかまたこのメンバーで、できれば初夏の晴れた日に、海風に吹かれて、冷たい焼酎でも飲みたいと思う。

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コメント

なつかしいようなHNをお聞きして、釣りフォーラムを
今更ながら思い起こしてました。(^^)

確かに鮎を取り巻く環境は、全国的に言っても良くは
ありませんね。
明らかに10年前の鮎とは性質が変わってるし、冷水病
なんて今や毎年の風物詩のようだし、鮎師の平均年齢の
高齢化もあるし。

ビルゲイツのようなお金持ちが、実は鮎釣りのファンで、日本の
川ごと買い上げてくれて、渓魚と鮎の為に設備投資して
人材も派遣してくれて素晴らしい環境を復活してくれないかと、
白昼夢のようなことを抱くこともありますよ。(^_^;

とまれ、釣りはなんにしろ楽しいですね。(^^)

解禁日を色々な河川で迎えてきましたが、ここ何年かは韓国に行ってます。
対馬の敵を取ってくるつもりでしたが・・・何となく冷水病??の兆しですね。釣れなくなりました。

今年、とある場所に二級河川を見つけまして、昔買った10mの竿を6mにデチューンしています。
夢のような軽さなので、風の日も釣りに行けます。
綾北川の居付きの爺さんスタイルに近付いてきました。
早起きして、座れる大石を死守します。

サルモサラーさん

うーん。鮎のことは考えるほどに気が重い感じで。
冷水病の鮎を見た時に、たしかにこれではオトリも追わないし、
掛かっても、よろよろ寄ってくるはずだよなあと。

それ以上に、鮎がいない。瀬がなくなってきた。
行くと悲しいので、今は年に1度か2度ほどの釣行になってしまいました。


秋山さん

いいですね。昔見た、綾北川の地の爺ちゃん釣り。
21尺くらいの黒黄の縞模様のへら竿とかで、石をひとつひとつ釣って、
そこそこ、というか、たいていはぼくよりも釣っていました。

ほんと、渓流みたいな小場所なら、いいところはありそうなのですが、
本命の大川が元気であってくれないと、どうもこちらも元気が湧きません。

解禁日に、ひさしぶりにゆうぐれなさんから電話をいただいて、
今、綾にいるんだけど、全面チャラ瀬になって、深みなんかなくなってますよ。
とのことでした。

五ヶ瀬のつるの瀬も、長さが半分になり、歩いて渡れるのだそうです。

ゆうぐれなさんお元気なんですね。
綾の河原に生えていた竹を送ってもらいましたっけ。

車庫の屋根の下に束ねてあってしっかり乾燥しています。
いつかたなご竿に生まれ変わる予定です。

秋山さん

ゆうぐれなさん、ここ数年、相当忙しくなってしまって、
(南の島に潜って、何か追っかけたり研究したりしてるようで)
ふだん、連絡をとりあうこともめっきり減ったのですが、
鮎解禁の頃になると、電話で近況報告って感じです。

ずっと以前、二人で、それぞれ一尾だけ釣った、
綾南川の鮎釣りが忘れられないのですが、
彼もそのようで、今となっては美しい思い出になってしまいました。
あの日のことは、ちゃんと書き残しておこうかなと思います。

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