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[1392] 撮影法>オート>ちょっとしたいいわけ 
2002/6/25 (火) 07:15:52 小西英人
▼ KOUJIさん

 うっかり、オートなんて書いちゃったから、衒いがないといいながら、ちょっと言い訳めいた『怪投乱麻』をいれておくね。

 KOUJIさんには、分からないだろうけど、おっちゃんは苦労しているのだ。

                           英人

『怪投乱麻』Vol.72

■小西英人■週刊釣りサンデー6月30日号より転載
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のんびり。それぞれの釣りがある


間奏曲
仕掛けは物でないんだ夢なんだの巻


■このごろ情けない。なにが情けないって…いいたくない。
       ■
■休みの日の昼、いい天気だなあ、明るいなあなんて思うと、そうだそうだと道具を広げ、せっせせっせと仕掛け作りに励んでいるぼくに、気がつくのである。こんなことはなかった。
■だいたい、天気のよい昼間に家でいるなんてこと、若いときはなかった。釣りに行くか、仕事しているかであった。思えば休日の昼下がりなんて、ほとんど縁がなく記憶にない。若いときは、幼い子供たちと顔を会わせることさえ、ほとんどなかった。ほんと、たまに子供たちと顔を会わせたりして、それから家を出ると「ばいばい、また来てね」などと無邪気にいわれ、嫁さん、わたしゃ何者やねん…愛人かな…きゃはは…など、ぼやいたり喜んだりしていた。
       ■
■夢は夜開く。恋は夜咲く。思索は夜深まる。仕事は夜動く。創造とは夜、歴史とは夜、創られるものなのだ。ぎんぎらぎんと何もかも照らしだされる昼には、夢も、恋も、思索も、仕事も、何もかもただただ日の下に暴かれて、現実が見えるだけ。日の下に新しきものなし…と旧約聖書の昔から喝破されているではないか。とにかく夜だ。
■だいたい、仕掛けなどというものは、夜作るものなんだ。これほど夜鍋の似合う物はないと思う。だいたい、釣り師の仕掛けは「物」ではない、「夢」なんだ。だから釣り師は夜、仕掛けを作っているように見えて夢を紡いでいる。このせっかくの夢は、貘のような河豚やらなんやらに食べられてしまったりするのだけど、現実などいい、いまは釣り師の夢の話なんだ。
       ■
■四十をいくつか越えたころ、ふと薄暗い中でガイドに道糸を通しにくく、もたもたもたもたしているぼくに気がついた。
■なんだ!なんなんだ!なんだよお!なんだなんだなんだ!
■ぼくの置かれた立場というものが理解できなかった。とにかくひとつの言葉が頭の中をぐるぐるぐるぐる渦巻いている。
■「老眼なのか?」
■これが、いままで、糸を結べなくて、もたもたしている先輩たちに向かって、傲慢にも冷たい言葉を投げかけ、揶揄して、嘲笑した、あの老眼なのか?
■「何してるん、てんごせんでええから、ちゃっちゃと結びやちゃっちゃと。ほんま、とろいいんやから。日暮れるでえ、魚逃げるでえ、ほんまにもう」
       ■
■てんごしてるわけではない。もたもたもたもたしているわけでもない。見えないのだ。ぼおっとしてピントが合わない。目が霞む、ワイパーのスイッチでもいれたくなる。見えない。
■ガイド穴に道糸が通らない。糸が結べない。カメラのピントが合わない。道に迷っても道路地図が読めない。餌の口が分からず刺せない。ないないだらけである。こういう「辛いめ」をしているときに、あんな冷たい言葉を投げかけたぼくは、残酷なやつだなと思う。いや、若いとは残酷なものなのだろう。そして、その、知らないからできる残酷さゆえに許されるのが、若いということなのだろう。
       ■
■しかし、人間ってなれるものである。はじめは困っていたが困ったなりに解決していく。糸も結ぶし、餌も手探りで刺す。ほとんど勘なんだけど、長く長くやってきているから、なんとかなっている。夜釣りで、どうしても暗くて糸と糸を結びにくかったら、手探りでもできる電車結びで結ぶ。明るいライトがあれば、照らしてアメリカ結びできっちり結ぶ。明るさや調子によって釣りのスタイルを変えるのだ。それくらいのこと、長く釣りやっているからできる。まあ、勘でたいていのことはできるようになる。しかし、魚の複写撮影だけは、どうしようもない。真っ暗闇で這いずり回りながら撮影板の上に魚をセッティングし、ライトを魚に当てながら、できるだけピントを合わせた。なのに、あがるとまったくピンが外れているのを見て、撮影はもう無理かと悩んだ。
■ぼくは中学の時から、釣りと写真が趣味であった。釣り以外の時はカメラを持って撮影に行くか暗室に籠もった。『ちょっとピンぼけ』を読んで、ロバート・キャパに憧れた。写真の専門書と戦争の専門書を読みあさり、いつ戦場に行っても写真が撮れる気概だけはあった変な中学生であった。高校一年のときに写真部の顧問の先生と徹底的に対立し、写真部を退部して、死んでも続けると誓った写真から遠ざかり、釣りにのめりこんだ。だから親父が週刊釣りサンデーを創刊すると聞いた大学生の時、いきなり写真部に飛びこみ、いきなりプロとして生活をはじめたのだった。ふたつの趣味が仕事になり嬉しかった。
■ぼくにとって、写真は特別なのである。暗室にも潜らなくなり、スタジオにも籠もらなくなったけれども、ぼくの青春時代に女などはいなくて、眠るところは、海の上か、車の中か、暗室の中か、スタジオの隅であった。暗室の酢酸の香りは、ぼくの青春の香りであり釣りサンデーの草創の香りなのである。
■辞めてしまったが、この青春を同じ暗室で折り重なって過ごした廣田利之カメラマンに相談したら、F5でいいよという。ニコンのF5ならオートフォーカスが暗くても使えるから頼ればええという。露出でも何でもオートなんてプロではないと突っ張って過ごしてきたが、彼がいうならF5に変えてみた。
■じーこ。じっ、じっ、じこ。なんて可愛い音を立てて、ぼくの眼に代わって懸命にピントを合わせてくれる。マット面合わせができないから、被写界深度をきちんと考えられないという問題は起こるのだが、雨の真っ暗闇の中、両足ではさんだ懐中電灯にぼうっと浮かび上がる魚にピントを合わせてくれる。これなど機械がなければ、撮影をあきらめなければいけないところで、科学技術の進歩は、ほんとありがたいと思っている。
       ■
■歳をとった。残酷な若いやつの言葉も笑って流せる。老眼など、不便であるけど楽しめる。偉そうにいっても、まだ四十代で老眼といっても始まったばかり、これからもっと大変になるだろう。しかし釣りとは大きな遊び。それぞれの立場、それぞれの状況、それぞれの年齢に応じた遊び方がある。人生折り返し点、釣りも折り返したばかり青二才だ。老眼は情けなくないのだ楽しみに余裕ができる。
       ■
■天気のいい休みの昼下がり、夢を紡ぎつつ釣りに想いを馳せた。ただ平和な時が流れる。