さかなBBSトップ
魚のことならおまかせ。WEBさかな図鑑
釣具の通販・Gear-Lab
HOME 似たもの検索  携帯版  | Gear-Lab

新コミュニティ(掲示板)オープンのお知らせ

WEB魚図鑑では、2013/7/25より新しいコミュニティをオープンしました。 「このお魚何?」というQ&A専用のページもあります。是非新しいコミュニティを使ってみてください。新コミュへの投稿はズカンドットコムへのアカウント登録が必要です。2013年1月以前にWEB魚図鑑へ投稿したことのある方はアカウントの引き継ぎを行うことができます。


[このスレッドを表示]

[798] 興奮斑>精神状態なのかな? 
2002/5/13 (月) 06:33:58 小西英人
▼ 西潟正人さん

 メジナ類は白っぽい斑紋を、けっこうだします。興奮斑なのだと思います。

 イスズミ類も形は違いますが、白い細かい斑紋を体中にだします。

 日本ではメジナ科とイスズミ科を分ける方が一般的なのですが、外国では、イスズミ科の中のメジナ亜科として含めるほうが一般的です。

 ええええええっ。

 あの「ばばたれ」とメジナが一緒と、失礼、関西で、ばばとは糞です、ぼくらはそう思ってしまうのですが、イスズミ科とメジナ科は単系統(直接枝分かれしている親戚筋という意味)なのかもしれません。いや、そうなのでしょう。魚類学会でも、一緒にしろ、いや分けておいた方が…という議論を、よく耳にします。

 また、カワハギの水槽観察などで報告されているのですが、カワハギで白っぽいのとか、黒っぽいのとか、斑紋が少しとか、体中に出ていたりしたり、いろいろ変わっているのを見たことがあると思いますが、あれは、精神状態によって変わるというのですね。興奮。恐怖。攻撃。安静。などなどで、それぞれ同じ斑紋が出るというのです、ぼくは、水槽観察だから無理があるような気もしないでもないのですが、たしかに、精神状態によって違うんだろうなとは思っています。

 ヒメジ科など、研究者に言わすと、ネオンサインのように、ぱっぱと色と斑紋を一瞬で変えるそうです。釣りでは、そこまで変わりませんが、たしかに、夜と昼で、まったく違ったりします。精神状態の差なのでしょう。

 そういうところまで、釣り人は見てやりたいなと思います。

 そして、断末魔、生に執着して怒るときの魚の美しさというものを、ぼくらは忘れてはいけないと思っています。

 まだ、魚類学にのめりこむ前に書いたエッセイを【波のまにまに】から転載しておきます。ぼく、魚類学とは、まったく関係なしに過ごしてきました。「四十の手習い」でのめりこんだのです。いや、門前の小僧が習わぬ経をよんでいるようなものなのです。

                           英人

==================================================================
【一瞬の色】

 釣り人は、魚の、光輝くほんとうの色を知っている。
 それは、どす黒い色でもないし、青ざめた色でもないし、ラップされ蛍光灯の光の中で放たれる怪しい色でもない。
 太陽の光と、水によってのみ醸しだされるめくるめく色なのだ。
 それは、自然の色ではない。
 水中の魚たちの、生態写真を見るとき、思いのほかおとなしい色であるのに釣り人は驚く、釣り人でなければ感動的な色、ときにはけばけばしいとさえ感じる極彩色なのだろうけれど、釣り人の見る色は、あんなものではない。そのおとなしい色でさえ、人工太陽のストロボに照らしだされた色であって、水中の自然光の色ではないのだ。
 浅い海でも水の中は青一色のモノトーンの世界、水の住人たちは、そういう色の中にとけこんで生きている。
 それでは、釣り人は、いったいどんな色を見ているというのだ。虚飾を見ているというのか。
 違う。
 それは、断末魔の色、生が、その輝きを閉じるにあたって、ひときわ燃え上がる一瞬の炎の色。
 怒り、興奮し、生に向かって逸走しようとし、力の限り闘争し、その途中で、未知の空中に放りだされた水の命たちの、あきらめない最後のきらめきなのだ。
 彼の大きな瞳は、空を映し、雲を映し、太陽を映し、海を映し、岸を映し、森羅万象を映し、彼の命を奪う殺し屋を映しつつ、輝きを消していく。
 平和な空の下で堂々と行われる殺し。
 釣りなのだ。
 いま人は、生をあやめなくても生きていける。どこかで大量につくられたり、大量にあやめられたり、生は工場化されつつある。ぱっと冷凍して、ぱっと生き返らせて、便利になったという。そういう生を体に受け入れて生きているのだ。それは平和に見えて、生を陰惨なものにしている。
 人が生きるとき、ほかの生をあやめなくては生きていけない。その闘争本能を忘れてしまいたくはない。
 だから、釣りなのだ。
 平和な空の下、魚たちが放つ一瞬の色をいつも網膜に焼きつけたい。彼の最後を見届けてやりたい。せめて、すっぱりとナイフをつきたて断末魔の苦しみを短くしてやりたい。彼の生の終焉に責任をもちたい。
 釣り人の魚、太陽の下で、誰からも見捨てられた野垂れ死にはさせない。
 死をよく知るものは、生をよく知る。手が鬼ならば、心は優しい。
 日本の岸辺に、点々と散っている小さき魚たちの死骸はなんだろう。
 釣り人、いまだその死を知らず、いずくんぞ生を知らん。光輝く色を知らないのか。

1991年 4月 4日 (木) 午前 2時24分