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[6592] 那佐湾>怪投乱麻>書きました 
2003/5/21 (水) 16:52:12 小西英人HomePage
 このまえの那佐湾、怪投乱麻で書いたので転載しておきますね。

                              英人


■怪投乱麻Vol.95■週刊釣りサンデー2003年6月8日号より転載
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梅雨楽し。いろいろ魚たちと遊ぶ


徳島県
いつも逃げこんでしまう那佐湾の巻


■ぱらぱらぱらぱらぱら…。
■さあーーーーーーーーーーっという静寂の音をバックグラウンドにしながら、ぱらぱらぱらと、乾いた音が耳元を撃つ。
       ■
■ばらばらばらばらばら…。
■ざざざざざざあーーーーーっと人を不安にさせる野太い轟音になったりする。高く低く、小さく大きく、軽快に重大に、静かに騒がしく、楽しく不安に雨は降る。そう、もう梅雨だ。
       ■
■釣りは地球と遊ぶスポーツである。それは全身全霊で地球を感じるのである。合羽のフードをかぶり雨の中に立ったとき、ぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら…耳元でフードを叩く雨音が鳴り響く。釣りに来たんだと思う。テントにあたる雨音もいいものだが、それより音は脳に近い。合羽というのは地球と遊ぶために、地球から身を守るための、いちばん小さなシェルターだろう。
■この雨音を聞いたことがない者は、釣り師とはいえない。
       ■
■東洋人が、ひとつの理想の生活をいうのに晴耕雨読という。田園に閑居し、自適の生活をしたいのだ。これをもじって釣り人は、よく晴釣雨読という。水辺に閑居し、晴れたら釣って、雨が降ったら本を読むのだ。しかし、都会人に、そんな贅沢は許されない。それに、雨というのもまた風情があるし、雨がいい魚もいる。だいたい合羽を着て、雨の中で濡れながら、いろいろな悪さをするなんて悪戯小僧みたいなこと、そんなこと釣り人でなきゃできない。釣り人だけの密やかな楽しみだ。それに、ぼくなど閑居したら、絶対に不善をなすだろうしなあ。
       ■
■すーーーー。すーーーーー。すーーーーーー。すーーーーーーー。竿が大きく何度も引きこまれ、お辞儀する。すわと臨戦態勢だが、厭に一本調子だ。竿をとり、そっと聞いてみる。
       ■
■徳島県海部郡海部町の那佐湾にいる。もうちょっと走ると高知県という徳島県南である。昨日は台風並みの暴風雨で、立っていられないほどだった。海は荒れ、吼え、真っ赤に濁りながら白馬を走らせていた。同行二人のお遍路さんたちも、早々に切りあげようとしていた。ひとり黙々と歩んでいるようでも、弘法大師とともに歩んでいるのだ。それを同行二人という。ぼくも、ひとりで宿を探しながらぼくと同行しているのは誰なんだろう…などと考えていた。釣りはひとりであっても、誰かがいると思う。人はひとりでは生きていけないし、それを確かめるのが単独釣行かもしれない。山を想えば人恋し。人を想えば山恋し。長野県の大町の山屋、百瀬慎太郎の言葉だけど、これは釣屋にも通じる。海を想えば人恋し。人を思えば海恋し。
■夜來風雨ノ聲、花落ツルコト知ンヌ多少ゾ。そんな感じで嵐の一夜は明けた。雨は降り続いているけど、風は、ちょっとおさまっていた。海は真っ赤に濁っていたけど、白馬を走らせてはいなかった。外海は無理だけど。こんなとき、ぼくは、いつも那佐湾に逃げこむ。細長い細長い湾である。ぼくは対岸までは飛ばせないけど、ほんとの飛ばし屋なら届くだろう。ぼくは対岸の、かけ上がりを狙うことが多い。尺前後の思わぬ大鱚に出合えることがある。ぼくが中学生の頃から世話になっている釣り場で、昔は通称木材置き場だった。いまはテトラとか砂利とかを積んだり作業したりしているけど。もう釣れないといわれているが、そうでもない。
       ■
■放りこむとすぐ、大きく竿先がお辞儀する。大鱚だといいなと喜ぶけど、一本調子に何度も引きこまれる。竿を、そっと聞いてみると、やはり…。大きな大きな流れ藻だった。赤濁りはおさまっていたけど細濁りだった。雨子、そうアマゴにいい感じの濁りだった。シロギスによくない。クロダイはいいかな。とにかく大荒れだったから塵と流れ藻が目の前を流れている。釣りにならないかと思うと、つんつん、可愛いが、きっちりした魚信で、シロギスがきた。二十糎ほど。それから、ぼつぼつぼつぼつシロギスが釣れる。みんな二十糎くらいだろうか。
       ■
■雨は降り続く。ときどきやむけど、また降る。風も吹いたりやんだり。糸雨、煙雨、細雨、霧雨、糠雨、驟雨。さまざまな雨が降る。さまざまな雨音に体は包まれる。さまざまな音に敏感になる。都会では忘れていた感覚。地球は水の惑星だ。どんどん雨は降り、海にはいり、空にのぼり、また降ってくる。大循環の中で、我々は生まれ、進化し、釣りを楽しんでいる。
       ■
■小ましな魚信に喜ぶとキュウセンの雄だった。あんたねえ。雨の日は砂に潜って寝とんちゃうのん。不思議に思いつつ撮影板を用意し、せっせと展翅、いや展鰭する。昆虫の足や翅を広げて標本をつくることを展翅という。魚なら展鰭だ。これ我慢強さがいる。集中して優しく広げると、背鰭に異常があった。可哀想に幼い頃魚に噛みつかれて逃れたか、網目を無理に逃れたかしたのだろう。展鰭していて、こういう異常は多い。海の中も大変なのだろう。それでも集中し撮影する。雨の中、一尾撮影するとへとへとである。
■昔は臨場感にこだわった。釣り場そのまま、波止や、砂や、磯や、甲板の上で撮影した。けれどもいまは撮影板を持ち回り白バックで展鰭した、生きている標本写真にこだわっている。これはもう、仕事というより、ぼくの趣味になった。釣りと同じく楽しい。たぶん白バックで鰭を広げなければわからない繊細な模様、艶やかな色、それをみなさんに知って欲しいのだ。それを写真に記録したいのだ。シロギスに混じってイトヒキハゼ、キタマクラ、キュウセン、コモンフグ 、チダイ、ネズミゴチ、ハオコゼ、ホウボウなどなど、ぽつりぽつり釣れる。雨の中、ふんふんいいながら集中して撮影すると一尾に三十分くらいすぐかかる。終わると腰はのびなくなりへろへろ。それを続けると釣りより撮影の方が時間がかかる。けれど楽しい。雨の中、けったいな奴である。
■ネズミゴチは青斑変異型の雄である。珍しい。京都大学に標本として送る。ホウボウは胸鰭の内面に黒色斑が残る幼魚。ふんふんふんふん。興奮する。
       ■
■いつのまにか五人家族に十分のシロギスと、いろいろな魚がいた。シロギスの糸造りは我が家に夏の香りを運んできた。美味しかった。梅雨また楽し。白鱚また楽し。雑魚また楽し。