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[▲前のスレッド]

[4245] 放流>教えて 
2003/1/6 (月) 00:11:15
◆画像拡大
こんばんは
今日は快投乱麻Vol.70を呼んでいて
思い出したように書きます
放流っていい事なの?教えて
私は基本的に反対なのだけど

少し奄美での例を書きますね
■放流御三家(マダイ、シマアジ、イシガキダイ)

放流する理由として、数が少なくなったからとか言いますが
数が減った理由を考えんと
魚ってどんな種でもハンターでしょう
ハンターばかり放流しても餌がない・・・

■先月の12月だったかな、新聞でスジアラ稚魚を放流
新聞を捨ててしまい正確に覚えていませんが
こんなコメントだったと思いますが
「スジアラは奄美で人気の魚、もともと数が少ないし最近は量が捕れませんので放流」

もともと数がいない魚をなんで放流するの?
鯛の場合、年寄りに言わすと昔は湾内(大島海峡)でマダイなんて釣れんかった

■写真の魚は放流されたヤツだと思いますが
放流されたヤツが少し大きくなって
市場にでて地元産って本当?
養殖でこれくらいのサイズで奇形も結構でますよ
写真は奇形ではありませんが
話がそれましたが養殖の安全性も問題ですね。

■自然体験?
放流する際に小学生などに放流を手伝わせて
「自然を感じてほしい」

これって自然?
最近ゆとり教育で土曜日が休みだけど
その、ゆとりを使って自然を体験させたら
あっ!話がそれました。

話が長くなりましたが、結局私には放流が良いかわかりませんので
みなさん教えて下さい。


[4246] Re:放流>教えて 
2003/1/6 (月) 01:08:02 西潟正人
▼ 忠さん
日本は海洋国と言われるほど海を愛していないし、海のことを知りません。だから平気で海岸線を埋め立てます。沿岸がダメなら沖合へ、沖合がダメなら遠洋へ!が日本の漁業戦略だったのですから。
私たちは土地には異常なまでに執着するのに、海や空気のような自然資本に対しては、まったく勉強されていなかったように思います。
干潟を埋め立て直立海岸にしてから、生態系や私たちの環境は想像した以上に壊滅的だったはず。それでも、生き物ってしぶとく生きるのですが、だからといって甘えるのはいい加減にしたいですよね。
行政指導のもとに、養殖漁業から栽培漁業へ!とうたわれていますが、明るい未来が見えてこない”目”は、魚を海を知る人だけにあるようです。地球をすっかり使い切って、クローン海やクローン地球なんてあり得ないもんね。
釣り人が、大言する時代だと思いますよ。さかなBBSから一歩が始まる予感です、さりげなく力は静かに。

[4263] Re2:放流>教えて 
2003/1/6 (月) 18:17:22
▼ 西潟正人さん

最近は埋めるだけでは、物足りなくなって
海底の砂を掘っていますよ
漁協などは反対していましたが、その後どういう流れになっているか謎です
新聞なども最初にちょこっと記事を載せるだけで
途中経過や結果などが・・・
いつも尻切れトンボです。

放流や開発もPDCA(デミングサークル)ちゃんとやってるのかな?
PLAN(計画)→DO(実施)→CHECK(検査)→ACTION(処置)
いつもDOで終わっているのでは?と思います。
間違いと思ったら次につながる計画しなきゃネ。


[4253] 放流>日本の希少淡水魚と系統保存 
2003/1/6 (月) 06:28:27 JUN
英人さんの文章をご紹介します。


■誰がために鐘は鳴るや■
■日本の淡水魚を■われら魚好きで守るために■耳を澄まそう■

------------------------------------------------------------------
 そのとき、そこに、ぼくはいた。たったひとりの釣り人として、研究者や、行政担当者のなかにぽつんと座り、不思議な熱気に包まれていた。
 1994年4月1日、東京水産大学。日本魚類学会年会が終わった翌日開かれた「日本の希少淡水魚の現状と系統保存」という1994年度日本魚類学会サテライト研究集会の中に。
      ■
 そして『よみがえれ日本産淡水魚・日本の希少淡水魚の現状と系統保存』という本が、このたび刊行された。編者の長田芳和・細谷和海両博士の「はじめに」から少し引用する。
      ■
 (前略)依頼した12人の話題提供者は、希少淡水魚の系統保存にかかわる活動を、生息地、実験室、および行政において経験された方で、それだけに示唆に富む話題が次々と提供された。参加者からも熱心な質問・意見・提案が述べられ、午前10時から午後5時までの予定時間内にはとても収まるようなものではなかった。会場全体が淡水魚の存続の危機感にあふれ、期待感と絶望感が交叉した一種独特の雰囲気がかもしだされていた。このままでは終われない。これが当研究集会の結論であったように思う。本書はその証である。(後略)
      ■
 会場の熱気はすごかった。
 交雑し遺伝子がぶれたニッポンバラタナゴ、いったいどういう個体がニッポンバラタナゴなのか分からなくなったという長田博士の問いかけは重すぎ、会場を、饒舌に沈黙させた。
 絶滅した沖縄のリュウキュウアユを戻すための放流活動に、鋭い批判がわきおこり、返す刀で、湖産アユの全国規模の大量放流に批判が集中した。あるオブザーバーがすくと立った。
 「アユは経済種である、議論の必要なし」
 彼は断じた。白熱していた研究者はいっせいに興ざめし、議論をうち切った。
      ■
 淡水魚は、地理的隔離によって独自の分化を遂げようとする遺伝的固有性と、異なる集団間でときどき交配して変異性を回復しようとする遺伝的多様性という、いわば相反する特徴を併せもつ。−−と細谷博士は書いている。
 地理的隔離によって固有種が生まれてくる。これは現在同種とされている種内でも、そうであり、たとえば、琵琶湖のアユは固有の遺伝子プールを持ち、日高川にのぼってくるアユも固有の遺伝子プールを持つ。自然は数十億年をかけた微妙なバランスの中で、これらの種を地球に残してきた。日本人は数十年で、何も考えずこのバランスを崩そうとしている。
 基本的にはすべての「放流」はいけない。淡水魚とは風土が創ったものであって、その風土固有の遺伝子プールなのだ。
 日高川のアマゴは、あくまでも日高川のアマゴであって、わけのわからん種苗からとったアマゴは、あくまでもわけのわからんアマゴであって、これを放流してしまうと、日高川のアマゴの遺伝子プールは攪乱され、下手をすると永久に消える。
 保護というなら、「放流」ではなくて、たとえば「産卵床」の整備をして、その地域個体群を保護しなければいけなかったのだが、日本の社会は安易で危険な道を選んでしまった。
 釣り人は、この危険を知らない。知らなさすぎる。知らないまま、いつのまにか圧力化し日本の風土を破壊している。
 「アユは経済種」という言葉は恐ろしい響きを持つのだ。
      ■
 海水魚も問題は同じ。ただ大きいから、問題が顕在化しにくいだけで、放流は悪である。
 科学的検証を受けない放流は自然保護ではなく自然保全でさえなく、遺伝子の攪乱、または汚染という、取り返しのつかない生物学的被害をあたえる。
 知らないというのは、現代では罪悪である。
      ■
 系統保存を考えるとき、遺伝的固有性と多様性という矛盾が問題を難しく、見えにくくしているのは事実だ。本書は、研究者が最大限に「ふつうの言葉」で書こうとしてくれている。しかし、集団遺伝学的な知識が下敷きにないと、ちょっとわかりにくいかもしれない。しかし、この本に詰まっている、あの会場の熱気と、研究者の、血を吐くような言葉に、釣り人は耳を傾けてほしいと思う。
      ■
 『トゲウオのいる川』(森誠一・中公新書)から引用する。
 『淡水魚保護』が一九九二年で終刊になった。十数年にわたって刊行されてきた淡水魚保護協会(理事長木村英造)の機関誌が存在しなくなった。しかも、協会自体も解消された。これは大変なことだ。
 この出来事は多分、きわめて近い将来において、われわれにその事の重大さを一層痛感させるだろう。これで全国レベルでの情報誌はなくなるからであり、誰が何をどのようにやったかは知られないままになることがより多くなる。記録として残ることもなくなり、淡水魚保護の過程や歴史の証言が個人の記憶だけという羽目に陥ってしまうのだ。(後略)
      ■
 研究者や魚好きをとりまく行動環境も悪くなった。淡水魚保護協会の解消は微妙な陰影をおとしている。このサテライト研究集会の発端も『淡水魚保護』終刊号の座談会にある。
 淡水魚好きのネットワークがなくなった。
 それに代わる、いや、これからの出発点にしなければならないのが本書『日本の希少淡水魚の現状と系統保存』だと思う。買うという経済行為によって連帯できることがあり共通の土俵にあがれることがあると思う。われわれ魚好きは、淡水魚保護協会を、そういう意味で、見捨ててしまったのかもしれない。同じ轍は踏まないでほしい。
      ■
 河口湖にクルメサヨリやクサフグが泳ぐという。ブラックバスが漁業権魚種に認定され、北浦や霞ヶ浦のブラックバスを買いあさり放流を続けるからである。河口湖は放流釣り場でもなければプールでもないが、そういうことが現実にある。
 放流義務の伴う第五種共同漁業権というのは、成果はおさめたと思うが、もう、見直さなければいけないのだろう。
 細谷博士は本書で釣り具メーカー、漁業協同組合、釣り団体にミチゲーションをもとめる提案をしている。
 ミチゲーションとは、簡単にいうと「補償」である。自然を使わせていただいて損ねてしまうのなら、その分を補償しましょうという考え方である。
 釣りは悪いことだとは思わない。水辺の環境を五官で知ることができ、魚を好きになる。しかし、知らず知らず、すさまじい環境負荷をわれわれは水辺にかけてしまっている。
 ローインパクトをこころがけて、なおかつ、われわれの補償をも真剣に考え、議論しなければいけない時代なのだ。
 そして漁業権魚種のみ、どぼどぼ放流したら資源は守られ、人は幸福だという二十世紀は、ぼくらの、頭と口と手で、終わらさなければいけない。
      ■
 希少魚は絶滅すべくして絶滅しているのであって、それを守ったからといって、人の役には立たないという議論がある。
 そういう人は、人も生物であって、環境に厳密に規定されてきたということを忘れている。日本の風土が産んだのが「日本人」であって、その自然は、美しく多様だった。どぶと化し、さまざまな日本の固有種を、あっというまに消し去るような風土に育つ「新日本人」なんて、想像もしたくはないのだ。
 釣り人ならば、はっきりと聞きとれるだろう。葬送される日本の魚たち、その弔鐘を。
      ■
 ゆえに問うなかれ
 誰がために鐘は鳴るやと
 そは汝がために鳴るなれば


----------------------------------------------------------------------

週刊釣りサンデー1997年10月12日号より転載



[4254] 放流>移植・放流についての基本的なスタンス  
2003/1/6 (月) 06:31:09 JUN
ぼくの文章もありました(^^;)

……………………………………………………………………………………………

移植・放流についての基本的なスタンス
FFISH SYSOP 山出 潤一郎

釣りフォーラムで10年近く、さまざまな立場や考えの人たちとともに移植・放流について議論してきた。釣り人としてある種の痛みを感じつつも、なべて魚の放流は「悪いことである」というところから、議論は始まらなくてはならないというのが、今の時点の結論であり始点である。

生態系という言葉はここ20年ほどの間に急速に広がり、人間の営みのあらゆる局面においてそれが考慮され、あるいは考慮されなくてはならないという風潮が出てきたが、言葉として一般的なわりには、これをわかりやすく理解するイメージがなかなかない。

生き物は個別に存在するのではなく、またバス対タナゴなどというような単純な図式に描けるような相互関係の中で存在しているのでもなく、バクテリアなどごく微細なものたちも含めて、人間に実感不可能な長い時間をかけた、想像不可能な精妙な平衡の上で存在している。これを乱すことで生じる結果もまた、予測が不可能だが、少なくともよくなることはない。

私がここで生きて、息をしているという事実自体が、生命誕生以来35億年の間、先祖が一度も絶えずに血を伝えてきた証拠であり、結果として自然がこしらえた精妙な平衡の上を危うく生き抜いてきた、ひとつの生物の進化の歴史でもある。そしてすべての生き物は同じように、平等に自然の手にゆだねられてきた。

それを乱すことが「悪い」ことであることは、論を待たない。
ひとつの生態系にある人為が加えられ、仮にそれが1000年間、何の変化ももたらさないようにみえ、しかしそれが原因となって2000年目にある種が絶滅したとする。それは生物の時間のスパンからみれば「一瞬」なのだ。しかもその種は「人間」であるかもしれない。

さて、なぜ放流が生態系を乱すのか。

これには大きく二つの側面がある。
ひとつはブラックバス問題に顕著なように、本来そこにいなかった種が持ち込まれることによって、長い時間をかけたその場の平衡が乱されること。
もうひとつは、鮎やサケ、ヤマメ、マダイなど広範な魚種で行われている放流が、その生息場所に適応した在来の魚たちの遺伝子プールを撹乱することである。

ヒラメはすべてが同じヒラメなのではない。他の生物を含めた生態系が長い時間をかけて平衡に至るように、生存競争という長い時間をかけた種内の競争の中で「残るべき遺伝子」が残り、その結果、東京湾には東京湾のヒラメが、鹿児島湾には鹿児島湾のヒラメがいる。当然、その遺伝子プールは異なるだろう。それを放流の名のもとに「混ぜて」しまった時に何が起こるのか。また、人工産卵や増殖によって血が濃くなった時に何が起こるのか、ということに、これまであまりに人は鈍感でありすぎた。まして、外来種の放流においてをや。

かといって、このwebページはすべての魚の放流に反対するために開設したのではない。いったん、「原則的に悪いこと」としておいて、後はそれをやるかどうか、やるとすればどのようにやるのかは、その魚種や範囲、規模や方法などを含めて、社会の選択にゆだねられるべきことだろう。その際の議論の基礎的な資料としてわずかでも役立てば、というのがわれわれの願いである。

ただし、釣り業界に時おり見られる牽強付会や基礎的な知識に欠けたプロパガンダについては、その影響力から放流以上に問題があると考えている。こうした事柄については釣りフォーラムとして必要な意見表明は行っていきたい。

釣り人は水辺の番人だという好意的な見方がある。
番人であるならば、自分の楽しみのために水辺を乱すことをよしとしないだろう。
そうであることを信じたい。


[4255] 放流>われわれが違う流れを… 
2003/1/6 (月) 06:31:51 小西英人HomePage
◆画像拡大
※右が鼻孔に異常のあるマダイ。左が正常なマダイ(釣魚図鑑より)

▼ 忠さん

 放流は、基本的には問題がありすぎます。よくないことです。よしんば、よい放流であったとしても、そういう「薄っぺら」な解決策をとっていると、いつの日か、しっぺ返しを食らうでしょう。日本の内水面も、いま、眼を覆う惨状です。

■放流御三家(マダイ、シマアジ、イシガキダイ)

 基本的に、奄美にマダイ、シマアジ、イシガキダイが多かったとは思えません。内地に出荷しやすい魚を選んでいるのでしょう。自然の海を、都合のよいようには変えられません。どこかに無理がでます。また、どうしても放流するなら親魚は奄美のものにするべきですが、これらの種苗が内地から手に入れやすいと言うこともあると思います。非常に安易な放流の「臭い」がしますね。実情は知りませんけど。

■先月の12月だったかな、新聞でスジアラ稚魚を放流

 スジアラは、まだ親魚は奄美産のものかもしれませんね。けれども大型になるし、魚食魚だし、もともと、そう多くは存在できない魚ですから、稚魚をいれても、乱獲をやめない限り、あまり実効はないと思われます。漁師に獲るなといっても無理でしょうから、漁法とか、禁漁区とかで制限し、工夫し、教育をして、大型の根魚類を獲り尽くさないようにするべきでしょう。

■写真の魚は放流されたヤツだと思いますが

 養殖の魚は、その飼料と薬品が怖いです。またその飼料と薬品は海に投下されるのですから、まわりの魚まで危なくなってしまいます。がんがん、抗生物質など使われています。水産薬品は、あまり規制がないのです。牛とか豚とかの肉類には、獣医がいて、薬品も制限されるのですが、「魚医」などいなくて、水産薬品に制限はなく、基本的には餌に混ぜて経口投与するので、病気の魚も、そうでない魚も、まわりの自然界の魚も、ぱくぱく食べるから、実際に与えないければならない病気の個体より、元気な個体の方が、薬品の摂取率が高くなるという、怖いことがおこります。

 それにくらべれば、稚魚で放流して、その海で育ったもののほうが、食品としてだけみた場合は安全です。

■自然体験?

 稚魚を。どぼどぼ放流して、お魚さんよかったね。海の自然は守られます。これが「最悪」でしょうね。もし、子供に自然保全を手伝わせて、自然の凄さと危うさを知って欲しいのならば、たとえば産卵床の整備とか、そういうことを、うまくやってもらうことでしょう。ひとは汗をかかなければ実感はできないのです。そういう教育をできる人材も、余裕も、時間もないのが実情ですが。「総合学習」にあわせて、各地の自然博物館など、がんばって、磯遊びや、干潟のプログラムを研究したりしていますが、なかなか、大変なようです。とにかく、子供の時に、安易でひどい方法を教えて、マスコミも、記者など常識がないから、それを「美談」と書いてしまう、そういう社会の流れを変えていかなければならないでしょう。われわれ釣り人がね。

 長くなってしまいましたが、最後に、ぼくが書いた放流の話があるので、前にも転載しましたが、再転載しておきます。

                            英人


■『釣魚図鑑』(小西英人・2000年)より転載
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魚あれこれ
ぎょぎょ事典C
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それはマダイの悲鳴である! のかもしれない
放流■


■体重2sのマダイは、1000万粒の卵を持つという。さて1000万粒の卵から、何パーセントのマダイが生き残って生殖に参加したらマダイの群れは減らないと思う?
■8%、7%…1%…まだまだ。0.1%、0.01%、0.001%…まだまだ。0.00002%あればマダイは減らないのだ!
            ■
■ごめん。意地悪した。雌雄が同じ数だと仮定し、成熟した雌雄から2粒の卵が生き残って産卵に参加したら全体の数は変わらない。1000万粒から2粒、百分率にすると0.00002%になるが意味はない。実際の資源量を計算するのは不可能だし生残率を計算するのも不可能だ。
■しかし、ごく大雑把に考えて何百万粒の卵から産まれだそうと、2尾から2粒が残れば資源量は変わらない。硬骨魚類の生き残り戦略というのは、それほど凄まじい。卵から稚仔魚期にほとんどが食べられてしまう。こういう「生き残り戦略」を持つ生物が「大発生」したと世間が騒ぐと研究者は「ぷっ」と笑う。大発生ではない「生残率」がほんのちょっと「ぶれた」のだ。2粒残るのが3粒残っちゃうと、その年の群れは1.5倍になっちゃう。
            ■
■東北大学の谷口順彦博士の「魚介類の遺伝的多様性とその評価法」という『海洋と生物123号 AUG.1999』に載った論文を参考に書く。マダイのように多数の卵を産みっぱなし一腹子の生残率が低いのを「多産性放任型」という。マダイを100万尾捕まえ、兄弟姉妹関係にあるものを見つけようとしても不可能に近い。自然界のマダイで近親交配が起こる心配はない。マダイの養殖、つまり人工種苗生産というのは、稚仔魚期の「歩留まり」をいかに高くするかである。これは「多産性放任型」への挑戦だ。体長5pの幼魚を「種苗」というが、マダイ100万尾の種苗を生産するのに、親の数は、せいぜい50尾でいい。雌雄2尾あたりで4万尾を産むことになる。養殖集団のマダイでは、兄弟姉妹関係にあるものが多くなる。
■100万尾のマダイでも「野生集団」と「養殖集団」でまったく違う。100万尾を「集団の見かけの大きさ」とすると、遺伝的な類縁性のない親の数を「集団の有効な大きさ」という。この養殖集団の有効な大きさは簡単にいうと50尾である。野生集団では有効な大きさを推定するのは不可能とされているが、100万尾なら数万尾と見積もられることもある。見かけは同じでも50対数万、野生集団と養殖集団は遺伝的に、これほど大きな隔たりがある。「多産性放任型」への挑戦とは、集団の遺伝的多様性を破壊すること。栽培漁業は野生集団を攪乱し、その遺伝的多様性まで減退させる可能性があるのだ。
■国連食糧農業機関(FAO)は親魚を継代しないとう条件で「有効な大きさ」を50以上、継代するならば500以上は必要であるという目安を発表しており、あるマダイの人工種苗の「有効な大きさ」を実測したら63.7で、FAO基準より大きかったという。谷口博士によると種苗生産技術者たちはDNA鑑定を自前で行うところまできているし、その努力をあたたかく見てほしいという。
            ■
■「奇形養殖はまち」騒動を覚えているだろうか?
■1980年前後から大騒ぎになった。養殖のハマチの背中がどんどん曲がっていく。水揚げ魚の数十パーセントも曲がっていたりして、当時、船底塗料とか養殖生け簀網の防汚剤に使われた有機錫系毒物、トリブチル錫オキシド(TBTO)が原因として疑われた。その後、TBTOは全面禁止になり、事態はとりあえず沈静化した。
■研究者は「ブリの骨曲がり」と呼んでいるが、これはTBTOが主因ではなかった。数十ミクロン以下という小さな原虫類といわれる単細胞生物がいる。その仲間の粘液胞子虫が第4脳室に寄生すると、なぜかは解明されていないが脊柱が複雑によじれたり曲がったりする。ちなみに「騒動」のときTBTO説を唱える運動家の一部は、脳内寄生虫説を発表した研究者を「御用学者」と決めつけ攻撃した。声が大きいと真実なのではない。真実は都合のいいものでもない。いつも「心」しておきたい。
            ■
■1975年、沖縄海洋博のため、広大な生け簀に四国から運んだブリを25000尾放養した。そのすべてのブリの筋肉に粘液胞子虫が寄生し肉が霜降り肉のようになった。内地から沖縄に存在しない寄生虫が持ち込まれたのかと調査された。ところが、この寄生虫は沖縄のスズメダイ類にふつうにいる寄生虫だった。寄生しても1個体に1個くらいなので見分けられず、知られてもいなかった。天然宿主と寄生虫は長い長い年月できれいな平衡がとれていたのだ。そこに「感受性」の高い内地のブリが持ちこまれたものだから、いっせいにやられたのだ。
■1980年、長崎県の養殖スズキで骨曲がりがでた。調べると粘液胞子虫の新種であった。韓国からの輸入スズキであったために韓国原産かと疑われたが、男女群島で採れた「もじゃこ」から育てたブリにも同じ虫がいた。九州沿岸にもともといた虫の可能性もあった。
■「骨曲がり」はブリで1970年代から現れ、自然のいろいろな魚に広がっているように見える。ぼくの知っている限りでも各地のスズキ、メジナ、マダイ、クロダイ、イシダイ、シロギス、フエダイ、ムツ、ホウボウ、キタマクラ、などなどに骨曲がりが見られた。「養殖」という「無理」が「集団感染」を引き起こし、それが自然界に「伝播」したのではないか。また養殖集団の遺伝的多様性が失われると自然ではあり得ない「高い感受性」を持つのではないか。いまのところ感染源も伝播ルートもまったく分かっていない。これは原虫による寄生の例だけど、細菌やビールスによる集団「感染」と自然界への「伝播」も、いまや現実の問題になっている。
            ■
■養殖、種苗生産、稚魚輸入、放流…、育てる漁業は怖い。「放流」というと「善いこと」と美談にされるけどそれでいいのか。いやそれどころか種苗生産してもっと放流することこそ「善」であり生物の保護になるという論調さえある。マダイの放流、クロダイの放流、ヒラメの放流…、なんでも放流がいいんだ。「放流」の危険性を水産系や養殖系の研究者や水産庁は知らないからバラ色の未来を描くのか。いや、よく知っている。けれども黙っている。社会も釣り人も「放流の生物学的危険性」を知らなければ危なすぎる。とりあえず科学的検証のない、安易な放流や種苗生産は排除するべきなのだ。
            ■
■『新さかな大図鑑』を編んだとき26個体のマダイの写真を載せた。もちろん自然の海で釣ったマダイだ。ある研究者は、ほとんどが人工種苗産のマダイだという。
■鼻孔がおかしいのだ。マダイの鼻孔というのは片側から見ると円形の前鼻孔があり長円形の後鼻孔がある。ふたつの鼻孔は皮で隔てられる。人工種苗マダイは初期の栄養のアンバランスにより「鼻孔隔皮」に欠損や形態異常が6〜9割もでた。図鑑のマダイがそうだという。ふつうに釣ったマダイはほとんど「放流」されたものだろうか。「人工」は「自然」を駆逐するのだろうか。これこそ日本の海の「現実にある恐怖」なのではないか。

初出●『磯釣りスペシャル』2000年1月号

[4256] 放流>あれ?JUNさんと… 
2003/1/6 (月) 06:34:54 小西英人HomePage
 放流の文章、JUNさんがアップしてくれていたなあ。

 けど、この放流の文章、発表時と、あとでと微妙に違っています。

 その違いも面白いかから…、そのままにしておきますね。だぶりますけど。

                         英人

[4257] Re:放流>あれ?JUNさんと… 
2003/1/6 (月) 06:35:53 JUN
▼ 小西英人さん

ごめん。

たった今、削除しました(^^;)。

冬休みの宿題が終わらなくて、徹夜しちゃった。

[4262] Re:放流>なるほど 
2003/1/6 (月) 18:02:39
皆様、いろいろご指導ありがとうございます
少しわかった気がします

放流を消費者の為だとか、漁師の為だとか大義名分をうたっているから
いけない事だと気付かないのでしょうね

産業サイドの人達で漁師さん達も時々悪者にされたりしますが
彼らの方も被害者なのかもしれません
釣り人より海や魚の事を真剣に考えている人も多いはずです。


ps
幼魚放流されたヤツは尾鰭に細工があると最近知りましたが
鼻孔でもわかるのですね。

[4264] 釣りビトが出来る事って何だろう? 
2003/1/6 (月) 18:19:20 ぷいぷいユッケHomePage
▼ 忠さん
どもどもです♪

実は、うちのHPの掲示板でもちょっくら放流についてお話していた所でしたので、非常にタイムリーな話題でした。。。

キッカケは、私が@niftyの釣りフォーラムのコンテンツの1つである、バス問題資料室の中から引用して少し言及したことに始まったんですけど、

海川問わずに放流された個体は生態系に入り込む事が出来ずに例え淘汰されたとしても、悪影響を与える事に繋がると思います。

在来生物がそれに食べられたり、それがそこで呼吸をする以上、あってはならない筈であるエネルギーの流れが生じる事。

これのドコが良い事なのでしょう?

また、淘汰されずに完全に生態系の一員として加わってしまった場合が深刻ですよね。

こういった場合は外国産の生物ならば、バスやギル、そして昔大繁殖したガの一種のアメリカシロヒトリ(だったかな?)の様に、思い切り増えて、在来の日本産生物の存在を脅かすケースが多いですし、

日本産の魚を放流したとしても、アマゴ・ヤマメの様に亜種関係にあるものは遺伝子が入り混じってしまったり、オイカワの様に、生息していなかった生物が関東・東北地方に進出してしまうという、自然の流れでは有り得ない事が起こったりするものです。

これらの事象のドコが良いことと言えるのでしょうか?


ブラックバス等の放流を除く一般的な意味での魚の放流を、一般の殆どの人が「良い事」として捉える事が多いのは教育の失敗だと思います。

例えば、飼ってた魚を川に返すのも悪い事というよりも良い事をしたと思うヒトが多いでしょうし、クロダイやマダイ、ヒラメ等の放流については釣具屋に募金箱が置かれている程。

私は上に述べた観点から見て、断じて良い事だとは思っていない一人ですが、

アユやマス類の放流はそれを必要とする釣りビトがいるからであり、栽培漁業などの放流事業についてもそれを必要とするヒトビトがいる事実があります。

だからと言ってヒトの身勝手な論で実際に放流を行って良いのか?

何が本当に良い事なのかが考えるうちによくわかなくなってきます。

けど、「放流は良い事」では決してないハズです。

何が良くて何が悪い事なのか、先ず、魚に触れる機会が多いヒト達からちゃんとした知識を得る。ここからでしょう。
僕ら釣り人は海に、川に、魚について普通のヒトより身近である以上、その発言力もちょっぴり強いハズです。
正しい知識を周りのヒトや、そしてネットを通じたり、色々な手段で無知なみんなに教えていく事も出来ます。

その正しい知識を得るにはどうしたら良いのでしょうか??その場はドコにあるんだろう??

[4272] Re:難しい事はあまりわかんないんです。 
2003/1/7 (火) 00:42:13 秘ノ餌
こんばんは。
一度お邪魔した事がありますが、
ほとんど始めましてです。
よろしくおねがしいしまーす^^

ユッケさんのサイトのほうから来ました、
確かにタイムリーで僕もびつくりしてます。
ユッケさんの所の掲示板に書いたものですが
ほとんどそのまま書きこまさせてもらいます。

僕は生態系に入り込むとかじゃなく、入り込まなくても、移入生物がいる事自体、おかしいというか、何で、在来生物がどこからやってきたか知らないような、移入生物に捕食されなければならないのか、もしくは、移入生物と一緒になって生活しなければならないのか、と、もっとガキのころから思ってました。

そういうことを考えるようになったのですがN○Kのハリヨの特集の番組がキッカケだったのですが、ハリヨがバスに食べられるシーンが衝撃的で、何でハリヨは食べられなきゃなんないの?と、思いました。食われる側がハリヨじゃなくても、モツゴであろうが、イトミミズであろうが。

遺伝子の問題について知ったのなんてつい去年の4月です。それまでは、お祭りで採ってきたドジョウを川に放したりしてしまっていました。さらに固有の遺伝子で形態が同亜種でも違うことを実感したのなんて、12月です。多摩川でよくモツゴを釣って見慣れていたのですが、霞ヶ浦で釣ってびっくりしました。霞ヶ浦の個体は顔が気持ち太めで、短い感じでした。でも、だから、どうという言い方がまだ、できません。考えきれてません。放流はしない、そのくらいしか考えられません。答えなんて出そうもありません。

では失礼しました。

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