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[34198] 図鑑裏話5>若い子たちに見てもらったこと… 
2007/5/19 (土) 09:07:31 小西英人HomePage
 『遊遊さかな大図鑑』ほど、長く、いろいろとプロトタイプを叩いたことはなかった。それも、たくさんの若い女の子に見てもらったのだ。

 きゃあ、可愛い…とかいわれる。

 いやあ、きれいわあ…などと喜ばれる。

 どうしたんだろう?!

 むかし、女の子が魚を見ると、眼が嫌、鱗が嫌、、生臭そう、気色悪い…、などと酷評されるのが「オチ」であって、釣り人など女っ気はないものだったし、魚類図鑑のようなものは、むっさいおっさんしか見ないものであった。

 それが、若い女の子に見てもらうと、どの子も、どの子も、異口同音に、きゃあきゃあいいながら、可愛いとか、きれいわあとかいうのである。

 時代は変わったものである。

 これで強気になって、いろいろ派手に魚をレイアウトをし直しては、たくさんの若い女の子にみてもらい、その表情を見ながら、またやり直しをしてプロトタイプを叩いたのであった。

■■■■■

 ぼくはアナログおじさんであって、デジタルは苦手である。DTPなど、まとまな編集者のやることではなく、できそこないの版下マンがやるものだと思っていた。しかし、紙のレイアウト用紙に鉛筆でラフレイアウトしたものをプレゼンしても、無理かなあと感じていた。ぼくの頭の中には溢れるほどの映像があり、ちょっとしたラフスケッチで、イメージは十分なんだけれど、人には伝わらない。

 ぼくのパソコンには、昔、勉強しようと思って買った、古いアドビのイラストレーターがあるけれど、起動してみても、初めの「アートボード設定」で、まごまごするだけのおじさんとしては、あきらめて放ってあった。

 娘が芸大に行き、ビジュアルデザインを専攻していて、アドビのイラストレーターを使える。ここは、ちょっと猫なで声で「お願い」してみた。知っている人に教わると、初めの垣根は、案外簡単に越えられた…。

 次に、写真の切り抜きレイアウトをしたくて、切り抜き法を教わった。もたもたしたけど、白バックの魚なら、アドビのフォトショップの自動機能を使って切り抜き、それをイラストレーターでレイアウトできるようになった。

 こうなると面白い。

 どんどんどんどんレイアウトしてみる。出力は困ったけれど、A4の写真光沢紙を買ってきて、インクジェットプリンターで打ち出してみた。コストはかかるし、時間もレイアウトの何倍もかかるけど、きれいなプリントができあがる…。

■■■■■

 母親がガンで入院していた。

 ちょっと認知症がでかけていて、夜、病院で、ひとりで置いておけなかった。夜はつきそうか、ナースステーションで寝るか、認知症ばかりの部屋にはいるかといわれて、つきそうことにした。昼は、嫁さんと、親父にまかせて、夜は、ぼくがソファーで寝て、母親につきそった。

 夜、ぼくが行くと英人君がいてくれるの…と喜んだ。交代のみんなが帰ると、玄関の鍵をかけてといわれた。ぼくが小学生、中学生時代であった広島の頃に帰っているみたいだった。その頃が母親にとっての華であったのだろう。そのまま機嫌がいいのだが、寝静まると、いろいろなことをしようとして困った。ほんとうに困った。うつうつしては母親に声をかけ、寝られないので図鑑のプロトタイプを悩むことにした。

 「表紙」、「魚類解説」、「写真検索」、「ここで見分けろ」、「記事解説」、「さかな雑記」…魚類図鑑のさまざまなパートの打ち出しを見ては、悩み、校正していた。

 母親は、ぼくが、ベッドサイドで、そういう仕事をしていてると安心するのか「悪さ」をしない。にこにこおとなしく見ている。

 その打ち出しを見て、若い看護師さんたちが騒いでくれるのである。

 きゃあ、可愛い…とかいわれる。

 いやあ、きれいわあ…などと喜ばれる。

 これには驚いた。

 夜の看護師さんは朝には交代する。一晩で多いと4人くらいの若い女の子たちの意見が聞けるのである。

 これは新鮮な感覚であった。

 朝の10時頃、眠い目をこすりこすり家に帰り、前の夜の朱をイラストレーターで修正したり、新しいレイアウトや新しい原稿を書く。そして延々何時間もかけて、小さな家庭用インクジェットプリンターで打ち出しをする。

 夜、打ち出しを持って病院にでかけ校正と修正をする。

 こういう生活を、母親が退院するまで、ほぼ一か月やった。

 そして、『遊遊さかな大図鑑』のタイ科の全貌が、写真光沢紙の打ち出しで、はっきりとした形になって、この世に浮かび上がってきたのだった。ぼくの頭の中だけではなくなった。

 荒削りだったけれど、ほとんど、若い女の子の意見をとりいれて創ったものである。

 そうこうしている間に、エンターブレインの柴田さんから連絡が入り、ぼくがプレゼンテーションしていた『遊遊さかな大図鑑』を刊行したい、ついては東京で打ち合わせ会議をしたいと電話連絡が入った。

 翌朝、父親から、母親のようすがおかしいから来てくれと連絡が入った。

 駆けつけてみると、みょうにおとなしい。

 「おばあちゃん、図鑑の刊行が決まったで!」報告しても、うんうんと首を振るばかりで、分かっているのか分かっていないのか分からない。

 訪問看護師のアドバイスで救急車を呼び、緊急入院した。

 それから1週間、病院に泊まりこんだ。母親は、にこにこしたり、黙りこんだりしていたが、急速に枯れていって自然に旅だってしまった。

 医師や看護師は、死ぬと分かっていたようだったが、ぼくら家族は、まさかこんなに早く死ぬとは思っていなかったので茫然としてしまった。ガンを宣告されて半年もたっていなかった…。

 6月9日、金曜日だった。

 茫然としたまま、家族だけで11日の日曜日に葬式をした。

■■■■■

 6月14日の水曜日、東京、千鳥ヶ淵近くのエンターブレイン社で、柴田さん、中坊さん、JUNさんたちと刊行のための初の打ち合わせをした。

 もちろん。

 ベッドサイドで看護師さんたちに叩いてもらった打ち出しを持っていった。

 母親の死は誰にも言わなかった。

 とにかく、ぼくにしては珍しく、いろいろな人の意見を聞き、いろいろと叩けたのは、母親のおかげである。

■■■■■

 もうすぐ一年。『遊遊さかな大図鑑』は、色校正となって、すべて校了し、印刷するばかりになっている。

 母親は、ぼくの図鑑の刊行決定を知っていたのか、知らなかったのか、いまも分からない。

                       英人