2009年10月20日

できない

男と生まれてしまったからには、子供の頃から男としてしつけられて育つものである。ある程度育ったら、今度は自分で自分をしつけなくてはならない。男だから...、というだけで一体どれほどの不条理や理不尽さをこらえてきたことであるのか、その総和の巨大さに目もくらんでくる思いがする。

つまり男というのは、日常的にやせ我慢の中に生きており、やせ我慢の中に死んでいくものだ。そのおかげで、とりあえず家族が生き、仲間が生き、結果として社会にナニゴトか資することができれば御の字であるという価値観がある。ない人もいるのかもしれないが、残念ながら私はそのようだ。

で、ロード・オブ・ザ・リングスにおけるモルドールのように、あるいは筒井康隆の熊の木本線のように、「その名を口にしてはいけない」とか「それを口にするだけで悪いことが起こる」というような、言葉としてのタブーもたくさん背負っている。

そのひとつが、「できない」という言葉だ。今、ここでこの言葉を書くだけで、どこか心がオノノクような気配があるのだから、ワタシの自己教育も相当なものである。思えば、社会に出てからこれを言った記憶がない。だから、たくさんのチャンスを与えられてもきたのだが、今となっては、そろそろ、そんなのもありではないかという気がしている。

気がしているだけではいけないので、お風呂に入っている時に、試しに叫んでみた。

「できないぜ」
「できんちゅうに」
「できんもんは、できん」
「できないぞ、このやろう」

毒をもって毒を制すというやつである。常にできそうもないことをできていかせるために、ナニゴトかと戦っている心が、これでむくむくと反発心を起こして、「できねーわけねーじゃねーか、ばかやろ」と吠えた。同時に、「できない」と口にしたことで、「できないくらいのことがなんだ」という覚悟まで生まれてきた。

人間の体が、ほぼ、その人が食べたもので出来ているように、人間の心は、その人の言葉で出来ているのだと思う。だから、毒のある言葉は怖いし、弱い言葉は人を弱くする。

一方で強がりばかりで、強い人間になれるほど、人間は強くもないし、弱い言葉ですぐに心が折れるほど人間は弱くもないのではないか。

ただし、ものすごく時間をかけて効いてくる毒もある。言葉の毒は、そんなのが多いように思う。

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コメント

人はその人の持ち物で出来ている・・・の言葉バージョンですね。(^^)

出来ない・・・か。

私は毎日出来ひんでぇ・・(出来ないよ・・の関西弁)を毎日のように
使ってますね。^^; 建築系だと、対お客さん的に言うと、「出来ます」
と言い切ってしまった方がお客さんも安心するし、契約を優先させる
ならそちらの方がいいのですが、構造的に無理っぽいことを「出来る」
と言った手前、無理くりにでも納めてしまいがちになるので、否定する
ときはしないといけないかなぁ・・なんて思っているところもあるので、
私は使ってしまうのでしょうね。基本、マイナス思考なのかもしれません。^^;

子供ン頃から親に教えられて、いまだにその呪縛から解けない・・と
いう言葉は多いですよね。ご飯粒を、一粒残すだけでもバチがあたり
そうに思うのはその象徴のように思いますが、そう言う意味で言うと、
無駄でも子供達にはやはりそれなりの言葉を掛けてやらないといけない
のだろうな・・ということはよく分かりますね。

サルモサラーさん

私も、仕事で無理な約束はしないタチであります^^;。これ、どっちかというと「夢」の話なのです。今、現実に目の前にはないけれど、心の中にはあるもの。少しずつにじり寄っていっている感じはあるけれど、形として目に見えてこない時に、「できない」という言葉は毒だけれど、時にはクスリになったりすることもある。ってことに気づいたような次第で。いや、若い話で申し訳ない^^;。

人はその持ち物で出来ている。って言葉、知りませんでした。ろくなもの、持ってないなあ^^;。

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