映画>寝ずの番
『寝ずの番』(マキノ雅彦監督/2006)。
1か月ぶりに映画を観た。この間、世間が暗くなると(最近は夜が長いことでもあるし)、映画を観ようかなと何度も思ったのだけど、まだまだ、やっぱり心底映画が好きというわけではないらしくて、おっくうと言っては変だけど、なかなか観ることができなかった。
これはプロジェクター視聴だからなのかもしれない。50型にしろ60型にしろ、それが「テレビ」であれば、もっと気楽に観られるような気もする。プロジェクターを設置して、ケーブルをつなぎ、アンプのスイッチを入れて、画面が走り始めるまで、ものの数分もかからないわけだから、たぶん手順が面倒なのではない。
なんか、やはり心に負担なのだ。ストレスはマイナスのものばかりではなくて、プラスの(たとえば結婚のような)ものも、絶対値としてストレスらしいから、それに似たようなものだろうか。暗い部屋で大画面が走ると、その集中の度合いはテレビの比ではない。面白いけど、疲れもする。
なんてことを思いつつ、1か月もあいてしまうと、何を観るかがけっこうむずかしい。こういう時、大作とか名作の類は避けたいということで、「寝ずの番」。以前、原作を読んでいる。原作を読んでいるから映画がつまらないというようなものでもなかろうから、この点は安心していた。
監督はマキノ雅彦。解説によるとマキノ映画100年記念として、一族の津川雅彦がマキノの名で初監督したということらしい。師匠の笑福亭橋鶴は、兄の長門裕之だ。まあ、そんなことよりも、やはりこれは中島らもの追悼作だろう。
主人公の橋太役は中井貴一。この意表をつくキャスティングは面白かった。全体にいうと、中島らものシュールなギャグのスピード感とか切れ味に、なかなか画面が追いつかない。特に「指輪外して」のところは、もたもたしてギャグになってない。
言葉のもつスピード感は、ひとつの単位で見ていくと、時間軸や状況説明から離れることができない映画よりもはるかに速いわけだから、これは仕方ないところ。それでも、このむずかしくも馬鹿馬鹿しい原作に、真面目に挑み、きちんと形にしたというのは、なかなかのものだと思う。
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