2008年2月12日

わが心の音は

男は、15歳を永遠に繰り返していくものである。と、誰も言っていなければ、ワタシがここで言うわけである。

家で音楽を聴くのが好きだった。自分の家であれ、友だちの家であれ、とにかくジャズ喫茶やライブ喫茶やロック喫茶よりも、おそらくホールでのちゃんとした演奏よりも、家で音楽を聴くのが好きな少年であったと思う。

それはたぶん、音楽そのものにもまして、その時に隣にいる友だちや先輩と話を交わしたり、コーヒーを淹れてもらったり、淹れてあげたり、新しい銘柄の煙草を教えてもらったり、そんなことが好きだったのだろうと思う。

半年移れば、はっきりと時代が変わっていった頃。音楽は、その激しく流れていく時代を受け止めるアンテナであり、また自分を見失わないための指標でもあった。そんな少年同士が初めて出会った時の挨拶は決まっていたものだ。最近、何読んでる?と最近、何聴いてる?だ。

時代はすっかりと停滞し、誰も他人が何を読もうと、何を聴こうと関心もなく、こちらもだいぶ年をとってきたけれど、その頃、聴いた音楽の延長にあるものを、いまだに聴いている。再生装置も、もとがドケチオーディオの長岡鉄男の信奉者であるから、そんなに無茶な買い物もしてこなかったけれど、それはほんとうに恥ずかしいくらいのものでもあるのだけれど、15の頃よりは、だいぶましになった。はずだった。

でも、どこか、心にすきま風が吹いているのを、ずっと感じていたのだ。その理由が、今夜、なんとなくわかってしまったように思う。

15歳で疾風怒濤期に入るとして、いくらなんでも20歳になれば、多少は落ち着いてくるのだが、ぼくが20歳になった1980年頃というのは、デジタル録音が本格的に始まり、その2年後のCDプレーヤー発売につながっていく、いわばデジタルオーディオ元年といっていい年だった。つまりぼくは、一番多感な時代を、徹底的にアナログの音で、つまりアナログ録音によるLPレコードで仕込まれてきた最後の世代だということができる。

その時代に聴いて、心に刻み込まれてしまった音のシステムは、

カートリッジ:DENON DL-103S 、SHURE V-15 TypeⅢ、DECCA MARK Ⅴ
プレーヤー:YAMAHA の何か
フォノイコライザー:回路がむきだしの自作CRイコライザー
スピーカー:DIATONE 2S-208のユニットによるトールボーイバスレフ
アンプ:自作KT66プッシュプル

というもので、これでバッハから、リー・リトナーまで聴かされていた。生まれたての蚊のようにウブだったぼくを、家に招き、導くように聴かせてくれた先輩がいたのだ。装置の持ち主は、菊谷(白男川)さんという。当時、ぼくは15歳で、彼は17歳だった。

今、ぼくの部屋の金田式A級30W(これも白男川さんにもらったものだ)、自作パッシブプリ、1650AL、スーパースワンというシステムは、スケールはともかくとして、音楽を奏でるという点において、今の水準でも十分に互していける魅力があるものと思っているのだけれど、やはり、どこか、心にすきま風が吹いていたのだ。

たとえば、あの頃、MARK Ⅴで聴いたバーデン・パウエルの音源を、CDで持っているのだけれど、あの時に感じた、スピーカーから、何かざらざらした透明なものが、こちらに向かって飛んでくるような熱さはない。リー・リトナーのジェントル・ソウツも、CDではよく低音が弾んで、かっこいい演奏ではあるけれど、それだけのことだ。

それは、ひどい言い方をすれば、どこか抜け殻なのである。どこに置いてきちゃったの、といいたいくらいに、あの頃に感じたそれぞれの音源の本質的な部分が、抜け落ちてしまっている。もっとも、お酒を飲めば、多少、そうしたものを感じる時もないではない。だから、最近では、おサケを飲まないと音楽をかけない。いずれ、サケ抜きでは音楽を聴けないカラダになるのではないか。

今さら、アナログVSデジタルなんて、話に戻ろうとは思わない。そんな不毛な話よりも、今まで見落としていた、大事なことがあったことに気づいた。

「今からでも、レコードを聴けばいいじゃないか」

もっとも、アナログ装置でデジタルを凌駕する音を出すのは、茨の道であることは知っている。普通にかけられるお金と手間の範囲の話であれば、総体としてアナログに勝ち目はない。

だが、うちのパワーアンプは、金田明彦というアナログ再生の世界では、「神の耳」といわれる天才が設計した。サケでいえば灘の生一本、吟醸中汲みというほどのクオリティをもつ。スーパースワンも、あの反応の速さで、そこそこ、がんばってくれるだろう。

そんなわけで、さきほど、1980年製のDENONのターンテーブルを、オークションで落とした。ついでに、やはり基本ということで、DENON DL103SLという、89年に2000台の限定で発売されたカートリッジを、「どうだ」というほどの値段で入札した。これは、ボディにセラミックを使って強度が向上したおかげで切れ込みが鋭く、長岡鉄男推奨のカートリッジだったので、どうしてもほしい。

フォノイコライザーは迷ったけれど、フォノイコの差にこだわるまで沼にはまるつもりもないので、DL-103専用ともいえる昇圧トランスAU-300LCをアマゾンで買った。これは数年前まで11000円だったのが、諸物価高騰のあおりで21000円になっている。それがなぜかアマゾンで8000円で売っていたので、飛びついた。何しろ、SHURE V-15 TypeⅢは、とっくに生産をやめてしまっているので、当座、MMのことは忘れてしまうことにする。

これで、八城一夫の「サイド・バイ・サイド」と、オスカー・ピーターソンの「ナイト・トレイン」をとりあえず聴いてみたいというのが、ささやかな夢。いずれも、CDで買う機会はあったのだけれど、いまだに持っていない音源なのだ。ぼくにとっては、17、8歳の頃にジャズ喫茶で聴いて以来の、幻の音源ということになる。

あの大きなジャケットから、黒い音盤をひらりと抜き出して、親指と中指で盤を支えてターンテーブルに置き、ジャケットを見えやすい場所に立てかけて、すっと、リスニングポジションに戻ってくる。あの頃、誰もが身につけていた作法を、ぼくはまだ、覚えているのだろうか。

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コメント

私の子供時代も(今でも多分そうだと思いますが・・)叔父達がこぞってスピーカーやアンプを作って合うたびにそんな話をしていたのだろうと思います。一人は木型屋さんなので、それこそ本格的なスピーカーを作り出してたのではないかと思います。そのころの叔父さん達の部屋にはオープンリールのデッキや真空管のいっぱい並んだアンプが沢山置いてあって、何に使うか分らなかったけれども、後に、高校に入ってステレオに少し凝った時、その当時の機械がいかに素晴らしいものだったのかということを知りました。
私は、音楽の道には行かなかったし、ステレオにしても高校時代に少し凝っただけでしたが、私の時代くらいが恐らくバラで機械を組み合わせてた最後の年代ではないかと思います。
今はちっちゃな機械一つでスゴイ音が出るのですが、昔はいろんな機械を通して初めてまともな音になってましたよね。カセットテープのメタルやノーマル、ドルビーのCやB,DBX、懐かしいですわ。

最近、SACDを購入してソフトも色々とそろってきたのですが、どうも製作側の意図は「アナログにいかに近づけるか?」というところもあるように思えます。(サラウンドという方向性もあるようですが)
エフェクトは最小限にして、弦楽器の指のこすれや、管楽器の息継ぎなど、ノイズと感じる人もいるような音の生々しさを大事にしているような録音が多いようです。
何なんでしょうね?いい音って、澄んだ蒸留水じゃなくて、なんだかんだと含まれて流れる川の水なのかもしれませんね。

僕もたまにLPレコードかけてます。
60年代初頭のビル・エバンスなんかいいですね。同じアルバムをCDで聴くより全然暖かいです。

サルモサラーさん

今からアナログオーディオ一直線、というわけではないのですが、押し入れに眠っているレコードやカセットのうち、残すべきものはデジタルに残しておかなくちゃ、というのがコトの始まりでありました。

最近、オーディオプロセッサが、そこそこの価格・性能になってきたみたいで、PCオーディオの改善もかねて、ちとトライしてみようと。そうこうしているうちに、いろいろと昔のことが脳裏によみがえってきたような次第です。

まあ、DL-103は、設計が古くて今の時代にはどうなのだという気はしないでもありませんが、日本人と生まれて避けては通れないカートリッジなので(^^;)、これがうちのシステムでどんな風に鳴るのか、楽しみではあります。


ひろすけさん

アナログの密度感というか、なんというか。情報量ということからいっても、昔、いい録音のレコードで聴いた、あの感じが、CDではなかなか体験できないでおります。

クラシックのレコードを聴きながら、昼寝をするのが、高校の頃は楽しみだったのですが、CDになってからは全然眠れなくなりました。このへんに、どうもアナログの本質があるような気がしております(^^;)。

少し前に、モスキート音なるものが流行りました。
子供には聞こえるが、大人には聞こえない・・っていうあれです。
確かに音域によって私たちには全く聞こえないのに、子供達は「ギャー、止めて~!」っていうくらい不快な高音であるらしいのだけれど(周波数によれば僅かに聞こえるモスキート音もありますので、子供達がどういう聞こえ方するかは想像できますが・・)、とういうことで言うと、勿論同じCDやレコード聞いてても大人と子供では聞こえ方が違うし、CDやレコード、その他の音源によっても周波数は違ったり様々な要因で出力される「音」違うのでしょうが、そういったことが結果的に心地よい音とか、切れがある音とか、まったりした音とかに「聞こえる」のでしょうね。きっと、周波数のサンプリングとかでは測りきれない何かがあるのでしょう。

モスキート、調べてみたら17キロヘルツのブザーのような音なのですね。たしかにこれは、まともにはなかなか聞こえない音ですね。テレビからも、15.75キロヘルツが相当強い音で出ていて、子供や耳のいい人には聞こえるので、もしかすると、これからヒントを得たのかな。

ぼくは、右耳は比較的まともなのですけど、左耳はすでに女性ボーカルは、センター定位しない(右に偏る)ということになっていて、オーディオなんぞできるカラダではないのかもしれませんが、それでもできるのですから、不思議なものです。

また悪い虫が・・・。

ワタシはまだSHURE V-15 TypeⅢ持ってます。あとはMC-7でしたっけ?JBLの4343はエッジがボロボロ。

でもいつか復活させて、太田裕美の木綿のハンカチーフをレコードで聴きたいと思っています。

先日、養老院に往診に行ったら「木綿のハンカチーフ」が流れていました。一日中昔の曲が流れるのですが、介護スタッフは太田裕美を誰も知らないという悲しさ。

秋山さん

ほんと、悪い虫ですね。

カートリッジは、ちょっと方針を転換しまして、秋山さんと同じ、SHURE V-15 TypeⅢをなんとか探してみることにしました。というのも、フォノイコライザーの代りに、往年のプリアンプ、YAMAHA C-2aを入手してしまい(もうオケラになるまで止りませぬ(^^;))、これがどうも、MCよりもMMの方が優秀なようで、それも当時のフラッグシップだったV-15 TypeⅢを基準に音作りをしているようなので。

今、一番聴きたいのは、NHK全国音楽コンクール合唱の部、昭和45年最優秀だった神奈川県大磯小学校の「石ころの歌(中田喜直)」であります。苦心のあげく、この超珍盤のLPを手に入れたのであります。大磯小学校は、当時、ぼくらの目標で、憧れでした。

ワタシはYAMAHA C-2aにパワーアンプがB-5です。JBLを買ったらオーディオ屋がオマケで展示品のアンプセットをくれたのでした。

セッティングに来たときに何かレコードは?と訊かれて、ふきのとうのLPを出したら苦笑いしてました。

で、c2-aはヘッドアンプが付いているのでMC、それもオルトフォンでしょうって言ったような・・・???
即買いして、それ以来SHUREは使っていません(^_^;
ホコリ被っていて使えるかどうか解りませんが、上げましょうか?

秋山さん

なんと、カートリッジをいただけるのですか。それは、ぜひお願いいたしまする。

C-2aとB-5というのも、アナログ時代の華ともいえる組み合わせですね。

住所をメールしてください。
SUPER-TRACK"PLUS"の針が付いていますが・・・。
あくまでノークレームでお願いいたします(^_^;

久しぶりにプレーヤーを見たら、オルトフォンのMC20というのが付いてました。

う~ん、オーディオってのはイマイチ苦手なのです。理由は簡単で、高校生までは金がなくて良い機械は持てなかった。大学に入ってからは一人暮らしで引越しばかしだったし、学費と食うので精一杯で、良い機械を持つことは無かった。結局は、聴ければイイやって感じになちゃったんだな。
それでも、落ち着いてからは一通り揃えました。レコードプレーヤーと手作りの真空管パワーアンプ。CDプレーヤーにICのプリメインアンプ。スピーカーはJBLが一組。まあ、
引越しの邪魔になること甚だしいんだけど、10回近い引越しにもメゲズに、15年近く元気に動いてくれてます。CDプレーヤーだけは5年程前に買い換えたけどね。
それらの機器で気が付いたことが一つ。LPとして録音したものは、アナログで聞いた方がイイ。CDとして録音したのは、ディジタル機器の方がイイって事です。まあ、当たり前の事ですけどね。

じゅん坊さん

そうですね。多感な頃にオーディオみたいなものに憧れて、ようやく一息つける年齢になった頃には、オーディオ趣味なんてものが、世間ではずいぶん縮小してしまって。

今日は、チューナーが到着して、ほんと何十年ぶりかに、オーディオ装置のスピーカーから流れるFM放送を聴いています。なんか、こうやってFMを聴いているだけで、幸福だなあ。

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