2009年8月21日

映画>20世紀少年

『20世紀少年』(堤幸彦監督/2008)。

どうも世間というのは変なところでリンクしているらしくて、去年あたりから、昔聴いたマーク・ボラン&T.REXのなんとかいう曲が気になっていた。

とはいえ、ぼくはマーク・ボランの時代はNSPおよびプログレ少年であり、仲間の話についていくために、ほとんどそれだけのために、ディープ・パープルやZEPPを多少は聴いていた、というぐらいのことであって、なおかつ当時の時代の風潮として、あんなチャラチャラしたもんがロックといえるかという、そういう対象であった「歌謡曲みたいなロック」(後になって考えると、たしかにT.REXは後の時代のビジュアル系の元祖みたいなところがあるわけだから、その指摘あるいは嫌悪、もしくは自らの正当化のための差別という、若者にありがちな感情は、その了見の狭さはともかくとして、まったく当っていないということもないのだが、)を、まともにレコードを買って聴くということはなかったわけだった。

だから、気になっていた曲というのは、それは当然、1975年前後にラジオから流れてきた、ある日、ある時のT.REXであって、歌詞はもちろんタイトルもわからず、ただメロディラインの一部だけが頭に残っているというものであって、その妙にゴージャスで派手な、これも一応ロックと呼んでいいのかどうか迷うようなメロディラインは、好きというほどでもなかったにしても、妙に心に残っており、それはたとえば中学3年次の木造校舎のツギハギだらけの廊下を走り回っていたことであるとか、自室にひっくり返って読んでいた安岡章太郎の小説の一節であるとか、そういう過ぎてしまえば記憶という名で呼ぶほどのことはないにしても、きわめて個人的な時間の流れの中で、そこだけ流れが止っているがゆえに取り残された何かのように、折々、蘇るものであって、それが何であったかわからないために、余計にいつまでも整理されずに残っている時間の残像のようなものであったのかもしれない。

妙に長いセンテンスで書いているが、この頃、寝しなに堀田善衛の「方丈記私記」を読んでいるためで、これは仕方ないことなのである。がんばって元に戻す。

で、件のマーク・ボラン&T.REXの曲は、「Teenage Dream」という曲であることが、You Tubeでわかった。知っている人は知っていると思うが、Whatever happened to the Teenage Dream.という、あの曲である。

まったくこういうものをロックと呼んでいいのかと、当時石頭揃いだったニホンのロックファン(あえていうがジャズファンはもっと石頭だった。今でもそうだ)、特に10代の、中でも男はそう思ったにちがいないのだが、やはりこれはジャンルを分けねばなんないと考えた人がいたらしくて、T.REXが登場したおかげでグラム・ロックという言葉が生まれた。いや、その前に生まれていたのかもしれないのだが、何しろT.REXといえばグラム・ロックであり、グラム・ロック といえばT.REXなのだった。

ところがこちらは何しろT.REX自体に興味も関心もないので、グラムロックという言葉は知っていても意味は知らず、なんかグラム単位で量れるくらい軽いロックってことかなと、おろかにも考えていたのだが、これもまた、若き日の直観のおそろしさでまったく外れているというわけでもなかったのかもしれない。それは20代で燃え尽きた、何人かのロッカーに比べればというほどの意味ではあったにしても。

で、T.REXのことを調べているうちに、20th Century Boyという曲があることを知り、そのタイトルから『20世紀少年』という映画(原作はコミック)が出来ていることを知った。もうすぐ第三部が公開らしいのだが、その一作目をテレビでやっていたので今夜観たと、そういう話なのだった。

こだわるのだが、当時、T.REXをロックバンドとしてまともに評価していたのは(そういう人がいたとすれば)、相当に懐の広いロックファンではなかったかと思う。ほぼ同じ時代に、近田春夫が郷ひろみを指して「日本有数のボーカル」と評しており、歌謡曲の歌手を指してボーカルと呼ぶというのは奇想天外を通り越していたのだが、あれはほんとに目からウロコだった。

ジャンルというものは、誰か偉大な先駆者がいて、そのイメージをもとに一度確立してしまうと、その隣にあるものさえ見えなくなることがある。音楽を言葉を頼りに読み解いていった時代であれば、それはなおさらのことだったのかもしれないのだが、その強大なジャンルの壁があればこそ、それを打ち破るエネルギーも生まれたのかもしれないと、ジャンルもへちまもなくなってしまっていることが、何かの豊かさにつながっているというわけでもなさそうな状況についての感想である。

映画の話を少ししておくと、主人公の少年少女たちは、小学生の頃にアポロ11号の月面着陸(1969)の実況を見ており、ワタシとどんぴしゃ同世代ということになる。彼らは20歳になった頃にクリスタル世代と呼ばれ、社会人になった頃に新人類とも呼ばれた。何か、時代や記憶を共有する世代というものが確かにあった、へたをすると最後の世代なのかもしれない。

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コメント

実はこの映画の脚本が友人のダンナでした。
つまり友人は女性なんですが魚大好き夫婦でして、食べたいが為にワカサギ釣りに北海道まで行くのでした。
流石に鮎釣りは無理だと言う事で、毎年鮎を送っていました。
いつも変わったお返しが来るのでしたが、去年の夏に20世紀少年の映画招待券が送られて来て制作の名前を見て気付いた次第です。
今年も招待券が届いています。

もちろんダンナも良く知っていますが、クリスタル族というよりはオタクの始祖ですね。
ロックとプロレスと蕎麦の話をすると止らない人です。

「美味しんぼ」とか「家裁の人」などという漫画の担当編集者でしたが、フリーになっていたようです。

秋山さん

おそらく、あの方ですね。とんでもない方とお知り合いですね。プロレスの話なら、存分におつきあいできますが^^。

たしかに、おたくの草創期世代なんでしょう。あらゆるおたくのルーツのひとつに、吾妻ひでおがあると思うわけですが、彼が青雲賞をとった78年頃が、おたくの萌芽の時期だったのではないかと。

>吾妻ひでお

知りませんでした。
wikiで見ましたが、いやあ・・知らない世界です。

78年の頃はにっかつのロマンポルノを見ていました(^_^;

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